シェアハウスの増加によって変わる家族観(後編)

小さな住まい | 2019.3.26

「拡張家族(コーファミリー)」という言葉を知っているでしょうか。「小さく住まう、みんなで生きる」ためのシェアハウスが増えるにしたがって、同じ屋根のもとで暮らす「家族」のあり方自体が変わってきているというのです。

2017年4月に誕生した複合施設「渋谷キャスト」では、共同コミュニティ「Cift」の立ち上げから関わり、約60名のクリエイターが共同生活を送りながら、新しい時代の「家族」の定義を模索し続けています。今回の小さな住まいの研究コラムでは、この「Cift」に住む「シェアガール」、内閣官房シェアリングエコノミー伝道師の石山アンジュさんが登場。

後編では、拡張家族における教育・介護など、さらなる可能性についてうかがっていきます(前編をご覧になりたい方はこちら)。

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石山アンジュ(いしやま あんじゅ)
1989年生まれ。国際基督教大(ICU)卒。内閣官房シェアリングエコノミー伝道師。「シェアガール」の肩書で、シェアリングエコノミーを通じた新しいライフスタイルを提案する。一般社団法人シェアリングエコノミー協会事務局長、総務省地域情報化アドバイザーほか、一般社団法人「PublicMeetsInnovation」代表。

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YADOKARI(さわだいっせい/ウエスギセイタ)【聞き手】
住まいと暮らし・働き方の原点を問い直し、これからを考えるソーシャルデザインカンパニー「YADOKARI」。住まいや暮らしに関わる企画プロデュース、タイニーハウス開発、空き家・空き地の再活用、まちづくりイベント・ワークショップなどを主に手がける。動産を活用した高架下ホステル&カフェ「Tinys Yokohama Hinodecho」、イベントキッチンスペース「BETTARA STAND 日本橋(閉店)」などの施設を企画・運営。著書に「ニッポンの新しい小屋暮らし」「アイム・ミニマリスト」「未来住まい方会議」「月極本」などがある。

「Cift」は、東京だからこそやる意味のあるプロジェクトだった

― つねに誰かがいる「Cift」にいて、泣きたいときや苦しいときなど感情的に葛藤があるときはどのようにするのでしょうか。

私はみんなに泣きついてますよ(笑)。全員じゃないけど、みんなの前で泣ける人も、受け止められる人も多い。都会にいると、人のために時間を使うのってすごく難しくて。相手に一日付き添ってあげるとか、ここにはそういう人が多くて、むしろ自分にはまだまだできないなと痛感します。

― こうしたシェアハウスにおける「拡張家族」のあり方は、東京だからできることなんでしょうか。

地方でも可能だと思います。むしろ、何もない方が結束しやすいはずで、地方で昔から村づくりをやっていますよね。むしろ「Cift」は都会のど真ん中だからこそ、ここに村社会をつくったことで、官僚もメディアも、みんなから注目してもらえるわけです。だから、あえて私は渋谷の中心から広げていきたいんです。

― 「Cift」はむしろ地方へ広がる可能性もありますか。

どんどん広がっていくと思います。いまも「拡張家族マップ」というものをつくっていて、ここには拠点を2つ以上持っている人も多くて、そういう人が「Cift」メンバーが地方へ行った際に利用できる家をピックアップしています。だから、みんな日本全国どこにでも泊まれるんです。

― 石山さんは熱海にも家があるそうですね。

はい。毎年4月から春先は熱海にいます。そちらにもいろんな人を連れて行きますよ。

― でも、なぜ多拠点で移動するのかを考えなければ、地方にいる意味は薄れますよね。東京にいた方が合理的というか。

まさにそうですね。会いたい人に会えるということがないと意味がないと思います。

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― 結婚やパートナーシップについてはどうお考えですか。

もちろん恋愛はしたいし、人生のパートナーも子どももほしいですが、法的な結婚をする必要性を感じていないのと、いまのような住み方をしている上で、あえてこれから2人でだけで家族をやるつもりはないなと思っています。そうなると拡張家族の概念を理解してくれる彼じゃないといけないですね。

― なんとなく、男性の方がシェアに対して臆病かもしれない、という気がします。

たしかに、そうかもしれない。シングルマザーのシェアハウスはたくさんあるのに、シングルファザーだけのシェアハウスはできないですしね。

― 私たちも小屋をつくるDIYワークショップをやると、ほとんどが女性なんです。女性が新しいコミュニティに積極的に入ってくるように見受けられます。

拡張家族にも「愛」は存在するのか

― 私たちは妻や子どもがいて家庭を持っていて、ある意味で昭和型なんです。いまの家族を拡張しなくてもすごく満足しているというか、意識しない愛みたいなものを感じている気がしていて。
今後、拡張家族のようなあり方が広がってきたときに、愛の定義はもっとライトになるのか、それとも、同程度に愛はあるのか。愛について、ご意見を聞かせてほしいです。

「全ての人類に愛を持とう」ということはジョンレノンもいっていますが、血縁者じゃなくても血縁者と同じくらいの愛情を持つことが可能なんだということに、ここ1年で気がつきました。でも、これは体験しないとわからないのかもしれません。自分とは違うものをいかに自分ゴト化できるのか。それを実験できる場が必要で、その1つが「Cift」だけれど、もっと必要でしょう。

そもそも、家族という定義をした時点で分断が生まれるんです。
「Cift」では「問いを分かち合うこと」で自己を変容していく人々の集合体自体が家族だと考えています。こういう人間関係が家族だ、と定義した瞬間に誰かはそこから漏れてしまうんです。

― ともに暮らしているかどうかは関係なく、誰とでも家族になれる可能性があると。

人間関係は若い世代を中心に変化していると思ってまして、愛を定義するとすれば「困ったときに助けてもらえるかどうか」が重要だと思っていて。それがこれまでは家族だったわけですが、いまや自己実現の選択肢も増えて、仕事も楽しいし、情報もあふれています。

私自身いますぐ結婚するという選択肢はあまりないですし、20代のうちに家族という絆を持つという選択肢自体が少なくなっていますよね。むしろどうやって弱さを助け合える関係を築くかが重要で、それがこうしたコミュニティであり、シェアハウスなんじゃないかと思うんです。

― 私たちみたいな古い考えを持つ人たちにとって、どうすれば新しい居場所・家族のあり方があるということを示せるのでしょうか。

上の世代は損得勘定が強いと感じます。これまでの安心といえば、いいところに勤めて高いお給料をもらうという社会的ステータスだったわけですが、震災があって、いまやお金の価値も揺らぎ始めていて。私たちの世代はもうお金やステータスで安心を買えないんだと気がついています。じゃあ何が安心なのかといえば、つながりこそ資産になると思うんです。もっとつながりを貯めていこう、ということを上の世代に対して啓蒙していきたいと思っています。

― 私たちも震災を見たときにそうしたステータス主義は崩壊すると実感し、移動式住居や小さな暮らしをベースにした活動をはじめたという原体験があるのですごく共感できます。そうなったときに、お金の概念はどう変わると思いますか。

シェアによって、お金を介さなくても衣食住が手に入るという経験が増えてくると、お金に対する目的意識はなくなっていくと思います。例えば、ここのコミュニティにいれば美容師もいるので、私は彼女に切ってもらっていて、お金もかからないですし、テクノロジーとシェアによってお金を介さなくても価値を得る経験ができると思うんです。

拡張家族における教育・介護の可能性

― 最近ではシェアハウスに学校を併設させるなど、共同体の中に学びの場を自発的につくっていこうという流れがあります。シェアハウスと教育について、どのように考えますか。

そもそも夫婦2人で教えられる知識には限界があります。ここでは子どもが自分の親じゃない人たちからいろんな歌を教えてもらっていますが、60人いれば料理も習字も歌もダンスもなんでもできるので、それぞれのスキルを与え合うことができるんです。

― 石山さん自身、たくさんの人と接しながら育ってきたわけですが、幼少期からの教育において何かいい方法はありますか。

学校だけではなく、全てが学ぶ対象になるべきです。昔は魚の捕り方から洋服のつくり方まで、みんながスキルをシェアしていたわけで、むしろ学校なんて必要なかった。いまは何を学べばいいのかわからなくなっている時代なので、むしろ教養こそが重要になると思います。例えば、秋田県では県知事が教育シェア宣言を行い、秋田の自然や文化含めて全てが教育資源であるという取り組みをされています。そんな事例がもっとあってもいいんじゃないかと思います。

一方で、自分が教えられると思っていない人が多いという課題もあります。本当は教えられるけれど、そのスキルに気がついていないこと、適切なマッチングができていないこと。ここでもシェアの概念が生きてくるわけです。
「ストアカ」のようなオンラインサービスがありますが、「ちょっと教えてみようかな」とハードルを下げることで、誰もが教えられるんだということに気づけたらいいなと。

― もう1つ、介護というキーワードについて。多世代で暮らすことが介護というものの変容のきっかけになると感じているんです。石山さんが介護という観点で感じていることがあれば教えてほしいです。

「エイジレス」になれるかどうかがポイントだと考えています。
「Cift」にいる60代の人は60代に見えない。でも、病院にいる知らない60歳の方はおじいちゃんに見えるんですよね。これって自他分離的な思想で、自分が他人をそんな風に見てしまっているというだけなのかなと。そもそもシニアをそう見ているということが問題だと思うんです。

― どうすれば、その意識を変えられるんでしょうか。

それは接点がないだけなんです。世代の距離があるというだけで、シニアをシニアだと見てしまっていることが大きい要因なのかなと。また、いまのように介護人材が不足するなかで「介護」という言葉がビックワードすぎると感じています。資格や医療が必要なところ以外のお買い物とか、映画を一緒にみるとか、これは誰でもできることなんです。だから資格が必要なところ以外は、例えば地域の人がやればいいんじゃないかと思います。そうすれば、介護の負担を減らすこともできるんじゃないかなと。

― いまの60代も場所があれば、変わり続けることはできるだろうし、どんどんエイジレスな人は増えるのかもしれないですね。

愛がある豊かな暮らしは日々の積み重ね

― 今日のお話を聞いて、やはり愛が大切なんだと感じました。

そうです。愛でしか世界平和は実現できないんです。

― どんなかたちであろうが、愛されたという原体験があることで、それは最後に心の居場所になるんだろうなと感じました。ここで育った子どもたちは愛された気持ちがパワーになって、「自由にやっていいんだ」と思えるようになる。これは、そうした場所に身を置いて体験しないとわからないなと思いました。

まずは自分ができることからやっていけばいいんだと思います。私の実家では、誰が来ても、お父さんが「今日からうちの冷蔵庫は君のものだからな」ということをいっていましたから。

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― 最後に、石山さんが最近興味を持っていることがあれば、教えてください。

2つあります。まず、個人とインターネットの関係を再考しなければいけない時代に来ていると感じます。
インターネットができたことで個人が自由になったはずなのに、いまやプラットフォームが社会をコントロールできる世の中になってきたなと。例えば、Amazonでショッピングをしたつもりが、知らないところで情報を使われていたりするわけで、もちろん、それを自分が認識していればいいんですが、ほとんどの人は認識をしていません。これまで国や企業に任せていたルールメイキングを個人が責任を持ってやらなければいけない、ということを意識できる社会になってほしいと願います。

もう1つ、近い将来、イノベーションと倫理観について考える時代が来ると思っています。
組み換え遺伝子のようなソリューションの解像度が上がっていく中で、どこまで人間が手をつけるのかとか、どこまでAIが人間の仕事を奪うのかとか、ここでも個人の自覚と認識がないといけないので、その意識レベルを上げていくことが必要だと感じています。

まさにいま、個人の社会になっていくなかで、どういう新しい生き方があるのか、ということを書籍にしています。

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「シェェアライフ 新しい社会の新しい生き方」 2019/2/26発売

私たちは生活に必要な「より良いモノ、より質の高いもの」を得るために一生懸命働き続けているにも関わらず、自由な時間は減り、捨てられないモノが増え、それが自分を孤独 (ひとり)にしていることに気づきはじめています。

資本主義社会が疲弊と限界を迎え、これまでの豊かさの物差しが揺らぐなか、「個人と個人が共感や信頼を物差しとして、あらゆるものをシェアしながら『つながり』を前提に生きていく」という新しい生き方・働き方へ社会のパラダイムシフトがすでにはじまっています。


 

「拡張家族(コーファミリー)」という新しい家族のあり方は、簡潔にいうならば「お互いが信頼・安心を享受できるつながりを持つこと」だと思います。それはまさに、いい意味での村社会の関係性に近いもので、もしかすると、わざわざ「家族」と定義しなくてもいいものなのかもしれません。

日本ではかつてアナログにつながった村社会が存在し、物々交換をしたり面倒を見合ったりして、家族同然の信頼関係を築けたわけです。そこには間違いなく「シェア(共有)」の概念が存在していました。その後の経済成長とともに、あらゆるものが効率化され、分断されたわけですが、いよいよテクノロジーを介してかつての村社会のようなつながりをつくる時代がやってきたのだと感じるわけです。

これからの時代、シェアハウスを起点に生活における「共有物」はさらに増えるでしょう。そうしたときに、誰もが互いに愛を持って接し、家族のような信頼関係を築くことで、よりよい社会が実現できるはずです。

けれども、いうは易し。頭ではわかっていても、いざ行動に移すとなると話は違います。
石山さんのお父様のように、自宅へ招いた友人に「今日からうちの冷蔵庫は自由に使っていいぞ」といえるかはわかりませんが、身のまわりの人々を信頼し、つながること、まずはできることから生活の中で実践してみたいなと感じています。

みなさんも、自分なりの「家族」のあり方を、いま一度考えてみてはいかがでしょうか?
たくさんのご意見、ご感想をお待ちしております。