美意識と文化性のある未来のライフデザイン(前編)

小さな住まい | 2019.4.23

その人らしい彩りのある家具や、美意識のある暮らしを提案する「IDÉE(イデー)」。
その創始者としても知られる黒崎輝男さんは、長年にわたり「生活文化の探求」を行ってきた日本を代表するプロデューサーです。

IDÉE時代には、マーク・ニューソンなど、いまでは世界的に活躍している若手デザイナーを数多く発掘、育成。IDÉEを譲渡した後も、廃校を再生した「世田谷ものづくり学校(IID)」内に「自由大学」を設立し、若手の人材を育みながら、日本の新しい価値観づくりや場づくり、カルチャーを牽引してきました。
家具、住宅、リノベーション、デザイン、農業、コミュニティなど幅広い分野に関わり、「自分は固有の業界の人間ではないから自由に発想できる」とおっしゃる黒崎さん。世界各地を周遊しながら、一年の半分以上を旅をベースに暮らしています。
場所にも社会の既成概念にも捉われない、黒崎さんが見ている未来の豊かな住まいや暮らしとはどのようなものなのでしょうか? 前編・後編にわたりお話をうかがいます。

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黒崎 輝男(くろさき てるお)
1949年東京生まれ。「IDÉE(イデー)」創始者。オリジナル家具の企画販売・国内外のデザイナーのプロデュースを中心に「生活の探求」をテーマに生活文化を広くビジネスとして展開。「東京デザイナーズブロック」「Rプロジェクト」などデザインをとりまく都市の状況をつくる。2005年、流石創造集団株式会社を設立。廃校となった中学校校舎を再生した「世田谷ものづくり学校(IID)」内に、新しい学びの場「スクーリング・パッド/自由大学」を創立。「Farmers Market @UNU」「246Common」「IKI-BA」「みどり荘」「COMMUNE246」などの「場」を手がけ、新しい価値観で次の来るべき社会を模索しながら起業し続けている。

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YADOKARI(さわだいっせい/ウエスギセイタ)【聞き手】
住まいと暮らし・働き方の原点を問い直し、これからを考えるソーシャルデザインカンパニー「YADOKARI」。住まいや暮らしに関わる企画プロデュース、タイニーハウス開発、空き家・空き地の再活用、まちづくりイベント・ワークショップなどを主に手がける。動産を活用した高架下ホステル&カフェ「Tinys Yokohama Hinodecho」、イベントキッチンスペース「BETTARA STAND 日本橋(閉店)」などの施設を企画・運営。著書に「ニッポンの新しい小屋暮らし」「アイム・ミニマリスト」「未来住まい方会議」「月極本」などがある。

「小さな家」と「遊農民」的暮らし

― 近年、先進国の若者たちが木の小さい家を海のそばや山の中につくったり、可動産や動くタイニーハウス、小屋などが注目されていますが、今後、日本の姿、住まいの在り方はどうなっていくと思われますか?

世の中の方向がいま、小さい家を求めてるよね、タイニーハウスだとか小屋だとか。
いままでは日本の生活のモデルが、良い大学を出て、大きな会社に一生就職して、長期ローンで家を買って、50才か60才のときに全部払い終わって、というかたちだった。そのモデルが果たして幸せか? という話になってるわけだよね、若い世代の中で。だから基本的な人生をどうやるかってのがテーマで。

ヨーロッパや北欧はとくにそうだけど、違うじゃないですか。何千万円もする家を買うよりも山の中に1,500万円くらいできれいな小さい家をつくったり、都会では中古マンションをきれいにして家具を良くして住んだり。そういう方が断然お金も安いし、豊かさも上がっていく。

やっぱり大自然で、山とか地方とか農的な生活になっていくんじゃないかな。いまもすでに、石川県小松市の滝ケ原ファームには大きな畑があって、そこで農民の何代目とかじゃなくて、東京の普通の若い子がうまく頭使いながら、農業もやりつつ東京ともつながって行ったり来たりするような、遊牧民じゃなくて遊農民みたいな暮らしをしてる。
こういうのを九州や千葉や北海道なんかにいっぱいつくっていって、そこを渡り歩きながら生活できるようにして。東京もやりながらネットで。僕もほとんどこういう所を行ったり来たりしてるんです。それでも生活できる、仕事もできるというふうにしていきたいなって。

― ちなみにいまは、海外と日本で過ごす比率はどれぐらいですか?

4割ぐらいが海外で、6割ぐらいが日本じゃないかな。いろいろ、ぐるぐるまわってんの。
今年の1月はオーストラリアのメルボルンとシドニーへ行って、2月にポルトガルとスペインへ行って、2月の後半にフランスから北欧全部まわって、それから帰って来た。仕事もプライベートも一体。世界がどう変わってるかということに一番興味があるので、それを見ていく。早くから日本のそのモデル、人生のセッティングがちょっとずれてんじゃないの? って僕は思ってたから。

僕の友達には上場企業の社長とか大学教授とか、偉くなった奴がいっぱいいるんだけど、話してると、もうすごい古い当たり前のことを言ってるだけでつまんない。いまの日本の若者も、彼らに教えられてるから狭い発想ですよね。もっと郊外で、海のそばでタイニーハウスに住んで、それこそ移動ができてもいいし、木でもいいし、石を積んでつくってもいいし。
そのデザインレベルが高くて、ライフスタイルとしては美味しいものを食べてて、やることがいっぱいあって、っていう方が、僕は豊かだと思うんです。

ファーマーズマーケットから学ぶ「人生のデザイン」

― 黒崎さんが若いクリエイターたちをサポートしているのは、何か経緯があったのでしょうか?

まあ昔から、IDÉEのころからデザイナーや建築家を、もっとなんとかしてあげたいなっていうのがあって。

ファーマーズマーケットをずっとやっていますが、良い勉強になるんです。
WEBやってた人が長野で農家してるとか、そういう奴が全国に結構いるんですよ。それを集めてみんなでサポートしてあげて、情報流してやると結構売れるんです。そういうことをやりながら若い子を引っ張り上げて。
いま、料理もレストランも全く変わってきてるじゃないですか、もっと美味しいものをやってくような。

― いまやIDÉE出身者が多方面で活躍されてますもんね。黒崎さんが関わられていた人たちって、一流のクリエイターの方々ばかり。そういう人たちが出てくる仕掛けというか、何かイメージされていたんでしょうか?

いや、ただ僕、業界って枠組みじゃないじゃないですか。日本は業界があるんです。僕は家具業界でもないし、いまやっていることも飲食業界でもなければ農業業界でもない。自分で考えた通りやってるから。そういう発想でやるのは、日本の社会では受け入れられにくいと思うんですよね。それを僕はまあ別に関係ないからってやりはじめて、で国連大学の人と話したら、じゃあそこでファーマーズマーケットやるってことになって、そこにJAとか全然関係なくやってるわけじゃないですか。そういう流れで全てのことをやっている。
自分もそういうノリでやっていきたいし、まわりの人もそういうことで。だから人間関係もあまり上下関係がなく、みんな出勤も自由。それは小さい会社だからできることで。今度、フードエクスペリエンスっていう部門をつくろうと思ってるの。飲食事業じゃないと思うんですよ、フードエクスペリエンスだから。農業から料理を伝える。

去年ぐらいからナチュラルワインに影響を受けていて。ナチュラルワインは生産者も違うし、扱ってるホールセラーや商人たちも違うし、飲む人もワインバーも全然違うんですよ。それが一つのムーヴメントとして1〜2年ずっと伸びてきてる。そこをもっと深めていって、農業もファーマーズマーケットも、○○農園の△△ってだけじゃなくて、どういう土で、どうつくって、それをどう料理して、どういうふうに、どういう場所でふるまうか。それをトータルで考えるのがフードエクスペリエンスだと。
「料理を通じてコミュニケーションしていくってことが大切なんじゃないか」というのを打ち出して行こうと思ってる。だからいわゆる飲食業じゃない。フードエクスペリエンスをトータルでデザインする。

以前は建築やインテリアや家具のデザインだったんだけど、食べ物をデザインで考えるなら「ライフデザイン」。
そういうことまで全部に美意識や文化性を持たせてやっていくっていうのが、僕のやりたいこと。それをひたすらやっていきたい。
農業や食べ物を、僕が唐突にやったと思われてるんですけど、やっぱり良い方向にきてるわけです。だからファーマーズマーケットには、すごいいっぱい人が集まる。

― これから黒崎さんがやっていきたい会社や仕事については、どのようにお考えですか?

みんなと組んでムーヴメントをつくっていく会社で、自分が所有するというんじゃなくて一緒にやるような、新しい組織形態みたいなのをやりたいなと思ってるんですよ。模索しつつ、今年か来年ぐらい。
まだ日本にはあんまりないと思うんですけど、コワーキングスペースみたいなかたち。海外でいっぱい出てきていて。つい2週間ぐらい前パリに行ってたんだけど、大きな倉庫の中で若い奴らが、建築家、デザイナー、家具やってる奴、料理やってる奴、みんな合わさって事務所やって、仕事を一緒に取って。いわゆるレストランオーナーじゃなくて、そういう状況をつくるみたいなことをやりたい。
いまもみどり荘の中目黒なんかはそういうノリで、直接仕事が来たら手わけしてみんなでやる、ということが起きてるわけです。誰が上取って、誰が下請けで、じゃなくてみんなでやっていくようなかたち。雇用形態とかとくに関係なく。
例えば石川県の滝ヶ原には土地がいっぱいあるから、そこにYADOKARIもいて、MUJIでつくるのがいて、デザイナーや建築家がいたりして、みんなで一回ちょっと盛り上げてこういうのをやっていって。外国人も日本人も住んで、何の問題もなくちゃんとみんなで仲良く生活できるような。東京ともつながってWEBもできてるっていう状況だと、社会が変わってるなぁっていうのが実感として出てきて。口で喋るよりも、それを現実化することが一番早いんじゃないかと。
小さい家をいっぱいつくりながら、それを組み合わせたりしながら、要するに土地の安いところでちゃんとつくって、借金もそんなにしないで、ローンを何十年も組まなくても自分の家をきれいにつくって。

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― これからハードとしての住まいはコンパクト化していくと思うんですけど、誰か人のつながりがある場所にみんな行く、みたいな流れになっていくのか、黒崎さんのイメージをお聞かせいただけますか?

まあみんなコミュニティ、コミュニティって言い過ぎてるからうんざりしちゃってるけども、とにかく仲間が人間と人間の本来あるべきコミュニケーションをもとにしながら、仕事も一緒にシェアしていくっていう社会です。いままでは資本主義社会で、雇用者と雇われ人とか、正規採用と非正規採用とか、そういうことで全てが決まってたわけじゃないですか。そういうんじゃなくて、一緒にやっていけるような方法はないだろうかっていうことをいま考えていて。
僕たちも別に出勤のときのタイムカードもなくて、メールで朝「どこにいます」、それでいいわけじゃないですか。やることは決まってるし、10人ぐらいみんな顔見知りだし、サボればわかるし、だいたいサボろうとしないじゃない、やってることが面白いから。そういうのが仕事で。その方が安全だと思うんですね、みんなで見てるからお金もズルすることもできないだろうし。
いわゆる人生モデルが、封建時代に○○藩に所属してっていうのと同じで、どこの大学出てどこの会社に所属するっていうのがあるから、基本的には本当の意味での民主化とか自由主義じゃないわけ。いま、それをやってもおかしいんじゃないかなと思うんですよね。

そういうこと全然関係ない生き方をしてやろうと思って、それで海外行ってぐるぐるまわって、いつでも履歴書も名刺も必要ない生き方をしてきた。
いまはもう銀行から一銭も借りてないし、全ての事業をそういう状態でやってる。その代わり自分が社長であるとかなんとかいわないで盛り上げていくっていう、まあ自分なりのチャレンジをしてるわけですよ。
価値の変換作用としてのお金だったのが、それが中心になっていったこと自体がおかしかった。雇用関係とか、そういうのじゃないんじゃないかなと思って。だから僕たちのまわりを、そうじゃないノリでみんなで生きていけるようにしつつある。
まあ、お金はとっても大切で、資本主義社会なんで中心になっているとは思うんですけど、徐々に違った役割をお金が演じるようになってきているし、仕事とか働き方とか、それから生き方が当然つながってきて、変わってくるんじゃないかって。住まい方も、全く同じことだと思うんですよ。それらとわけては考えられないと思うんですよね。

後編では、若手と一緒に実現する未来の暮らしについてお話をうかがいます。