小さく住まう、みんなで生きる。

コラム | 2017.7.11

前回のコラム「家族のかたち、家のかたち」では、中古のスクールバスをリノベーションし、アメリカ中を旅したある家族の話から、家族と住まいのかたちについて考えました。そこには、家族のかたち、家族との距離感を改めて見つめ直すための、「家」と「時間」がありました。

家族は、私たちにとって確かにかけがえのないもの。しかし、近過ぎると逆に息苦しさを感じてしまうことも、多くの人にとって経験のあることかもしれません。

私たちは“緩衝地帯”を求めている
私たちは、家族から離れて自立することを、「社会に出る」と表現します。家族を離れると同時に「社会」に放り出されるのです。

「社会」の荒波に揉まれつつ、時代の風に身を任せながら、首尾よく生きるスキルを身に付けられたひとは幸福です。でも、なんとか波に乗れたとしても、ぎこちなく漂っているひともいれば、あるいはボードに乗ることすらできず波間で孤立してしまうひともいます。

私たちは、大海に出る前の穏やかな“浜辺”である家族と「社会」との間に、“緩衝地帯”としてのコミュニティを求めている気がします。そのコミュニティは、家族よりも広がりがあり、「社会」よりも親密な関係を築ける場所です。

例えば、そんなコミュニティのひとつのかたちが「シェアハウス」。国内においてすでに2万戸を超えたといわれています。家具・家電付きのものや、契約期間が短期であるものも多いので、踏み入れたコミュニティが肌に合わない場合でも他へ移動しやすいのがメリットです。

一昔前は単身者同士の一風変わった住まい方と思われていましたが、いまでも利用者は2~30代の若者・単身者が主流。多くは経済的な理由からその暮らし方を選択しています。しかし一方で、暮らしに申し分ないほどの安定収入があっても、あるいは結婚して子供ができてからも、あえてシェアハウスを選ぶケースも増えてきており、都心部では多世代同居型のシェアハウスも増加傾向にあるようです。

長屋暮らしとスモールハウス
シェアハウスは、プライベートな空間は小さく、大きなキッチンや食堂、お風呂やラウンジなどの共有部分を広くとることで、他人とのコミュニケーションを生み出す工夫があります。この住まい方は、かつて私たちの先祖も暮らしていた「長屋」を想起させます。玄関や廊下を共有する集合住宅とは異なり、壁に連なった長屋の部屋にはそれぞれに玄関がありましたが、井戸は共同使用でした。井戸端会議という言葉があるように井戸は単なる水道ではなくコミュニケーションの場でもありました。風呂は共用か銭湯、台所やトイレ(厠)も共用ですから、シェアハウスと構造や考え方は一緒です。

YADOKARIが2015年に14平米の移動式スモールハウス「INSPIRATION」を発表したときのこと。多くの反響があった中で際立っていたのは、意外にもシニア層からの問い合わせでした。彼らから聞こえてきたのは「昔の長屋みたいに、このスモールハウスを集めてみんなで暮らしたい」という声。年齢的には戦後世代の方々ですから、リアルな長屋暮らしは経験していないのではないかと思われます。ただ、戦後の貧しいときに狭い家で肩を寄せ合い、隣人と助け合いながら生き延びた時代のことを思い出していたのかもしれません。

このことを単なるノスタルジーと捉えるのは違うのかもしれません。いろいろな経験を重ねたシニア層が直感した、老後を豊かに暮らすための知恵が、物の多さや家の広さではなく、隣人と助け合いながら生きることであるならば、これからの未来を描くうえで「小さく住まう、みんなで生きる」ことは大きなヒントです。

小さく住まう=みんなで生きる
近年、とくに注目されている「エコビレッジ」にも、シェアハウスや長屋暮らしとの共通点を見出すことができるでしょう。

エコビレッジとは聞き慣れない言葉ですが、自給自足や自然エネルギーの利用など、環境に負荷の少ない暮らし方を実践し、自然と住む人が調和したまちづくりをしている人たちが住んでいる場所です。例えば、デンマークの「スヴァンホルム Svabholm」という、140人ほどが住むエコビレッジコミュニティがよく知られています。

“サステナビリティ(持続可能性)”というと自然環境保護の文脈で硬く捉えられがちですが、エコビレッジはそれだけでなく人間や住まい、社会を含めて持続可能であることを目指しています。とはいえ、その姿かたちは多様です。広い敷地に転々と暮らしながら協同する場合もあれば、集合住宅がひとつのエコビレッジになっているものもあります。

エコビレッジでは、“サステナビリティ”というコンセプトの下、電気やガス、水道といったインフラに安易に依存せず、場所や物、労働力や経済力をみんなでシェアします。持続可能であるためにシェア・コミュニティとして生きる、それが結果として小さな住まい方の実践となっています。一方シェアハウスや長屋では、ハードとしての“小さな住まい”が前提としてあり、小さな住まい方を実践するところからコミュニティが生まれています。

こうしてみると、「小さく住まうこと」と「みんなで生きること」は常に一緒で、これを分けて考えるのは不自然なことのようにも思えます。どちらかが欠ければ、もう片方も成立しないのかもしれません。大きな家に住み、広い個室を持ち、自分や家族の暮らしに必要なものはすべて手に入れられるほど私たちは豊かになりました。一方で失ったもの、それは家族を離れ、自立に向けた人と人をつなぐ“場所”だったのかもしれません。

現代に登場したシェアハウスやエコビレッジの実践は、懐かしくて新しい暮らしのかたちを生み出しています。これからの日本でみなさんが考える暮らしのかたちはどんな人たちと、どんな場所で、何を大事にして生きていくのでしょうか? みなさんからのたくさんのご意見をお待ちしております。