シェアハウスの増加によって変わる家族観(前編)

小さな住まい | 2019.2.26

「拡張家族(コーファミリー)」という言葉を知っているでしょうか。「小さく住まう、みんなで生きる」ためのシェアハウスが増えるにしたがって、同じ屋根のもとで暮らす「家族」のあり方自体が変わってきているというのです。みんなで住まうことが一般的になれば、血のつながりだけではなく、もっと思想的な部分で他者とつながることも家族と呼べるようになるでしょう。

2017年4月に誕生した複合施設「渋谷キャスト」では、共同コミュニティ「Cift」の立ち上げから関わり、約60名のクリエイターが共同生活を送りながら、新しい時代の「家族」の定義を模索し続けています。今回の小さな住まいの研究コラムでは、この「Cift」に住む「シェアガール」、内閣官房シェアリングエコノミー伝道師の石山アンジュさんが登場。前編・後編にわたって、「これからの豊かな暮らし」と「多世代・家族で住居をシェアすること」をテーマに、お話をうかがいます。

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石山アンジュ(いしやま あんじゅ)
1989年生まれ。国際基督教大(ICU)卒。内閣官房シェアリングエコノミー伝道師。「シェアガール」の肩書で、シェアリングエコノミーを通じた新しいライフスタイルを提案する。一般社団法人シェアリングエコノミー協会事務局長、総務省地域情報化アドバイザーほか、一般社団法人「PublicMeetsInnovation」代表。

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YADOKARI(さわだいっせい/ウエスギセイタ)【聞き手】
住まいと暮らし・働き方の原点を問い直し、これからを考えるソーシャルデザインカンパニー「YADOKARI」。住まいや暮らしに関わる企画プロデュース、タイニーハウス開発、空き家・空き地の再活用、まちづくりイベント・ワークショップなどを主に手がける。動産を活用した高架下ホステル&カフェ「Tinys Yokohama Hinodecho」、イベントキッチンスペース「BETTARA STAND 日本橋(閉店)」などの施設を企画・運営。著書に「ニッポンの新しい小屋暮らし」「アイム・ミニマリスト」「未来住まい方会議」「月極本」などがある。

シェアハウスであり、会社でもある特殊な組織

― 最近、WeWork(WeLive)に代表されるような「多世代で住居をシェアする」ということが増えている中で、これからの世代の「家族観」自体が変容し始めているように感じます。本日はこうした「家族」に関するお考えを聞かせていただければと思います。まず、日本国内ではまだまだ新しい事例と思われる「Cift」について教えてください。

2017年5月に「渋谷キャスト」オープンとともに「Cift」の立ち上げから関わりました。クリエイターが集合する複合施設というコンセプトでライフスタイルをつくろうと、(発起人の)藤代 健介さんが入居者を集め、一般公募はしないかたちでスタートしたんです。最初は38人で暮らしていましたが、現在は60人まで増加しています。

ここのコンセプトは「ともに働き、ともに暮らす」なのですが、これまでのコワーキングやシェアハウス施設とは異なり、「Cift」は法人組織でもあるので、入居者が受けた仕事の報酬は「Cift」の口座に振り込まれて、みんなのお金になります。それ以外にもみんなが組合費を毎月コミュニティに出しています。このお金の使い方を家族会議と称してみんなで決めるんです。共同のお財布を持っているところは、他のシェアハウスとも異なるところですね。

私たちは物理的なシェアではなく、思想としての家族になろうということを目指しています。だから、入居者には全員面談をするし、ここには家訓もあるんです。明確な基準があるわけではないんですが、基本的には「自らを開ける人」ばかりが入居しています。ここって、ほとんどの部屋が鍵開けっ放しなんですよ。勝手に洗濯機も使っていいし、洋服もどうぞと。私はそもそも、両親が横浜でシェアハウスを経営していたので、慣れている部分もあって。

幼少期から知らない人に囲まれて暮らしてきた

― 生まれたときから、いろいろな人がいる環境にいたんですね。

実家が2世帯住宅で、インターナショナルスクールの先生に半年毎に家を貸していて。だから、家に知らない人がいることがしょっちゅうでした。父はもともとブラジルに住んでいるときに放浪していたらしく、自分の家にもつねに知らないブラジル人がいるような環境で育ちました。

― 知らない人が家を出入りすることに抵抗はありませんでしたか。

それが日常だったので。いろんな人にお風呂に入れてもらっていましたし、母もキャリアウーマンで、自分を生んで2週間後には海外出張に行っちゃうみたいな。

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― いわゆる、昭和的な家族のようなつながりではないですね。

週末は、80人くらいお家に呼んでホームパーティですよ。起きたら知らない人がいるような、そんな家庭環境で暮らしていました。その後、12歳で両親が離婚するんですが、お互いに彼氏彼女ができて、さらに家族が増えたようなイメージで。私の誕生日パーティーにそれぞれの彼氏彼女までいるような。

― 自分の居場所や心の拠り所に悩まなかったですか。

両親が離婚したころは一時期悩みましたが、客観的に見れば家族が増えて楽しいという発想に変わっていきました。

― それはすごいですね。なかなか思えることじゃない。そう考えられるようになったきっかけはありましたか。

私は小さいころから、学級委員とかやるような目立つタイプだったのですが、小学生のころから戦争映画が好きで。図書館行って死体の写真集を見たりとか、とくにホロコーストとかユダヤ人迫害とかに関心があって、当時からアフリカの子供や貧困問題に対して興味がありました。

ちょうど15歳くらいのころ、私がアドルフ・ヒトラーとちょうど100年違いの同じ誕生日だということに気づいて、いま考えるとおかしな話ですが、当時は「自分がヒトラーの生まれ変わりなんじゃないか?」と(笑)。高校に入ったら親にお金を借りて、アウシュビッツまで行ったほどです。彼は負の遺産を社会に残したけれど、私は反対に「社会のために生まれた子どもなんだ」と勝手に思い込んでいたんです。それがいまでも自分の存在意義につながっています。

― 「社会のために生まれた子ども」という使命を全うしようと。

当時、私はエイベックスのアカデミーでダンスや歌をやっていて、マイケル・ジャクソンやジョン・レノンみたいな「ピースメッセンジャー」になりたかったんです。でも、まわりのみんなは「浜崎あゆみになりたい」みたいな子ばかりで、自分が世界平和を訴えても、誰も聞いてくれない。

そんなとき、どこで世界平和を勉強できるんだと当時の先生に聞いたら、日本で唯一ICU(国際基督教大学)が平和研究をやっていると教えてくれて。だからICUへ入学して、戦争の勉強をすることにしました。

― 大学(ICU)は楽しかったですか。

楽しかったですね。でも、世界平和の答えを探しに大学へ行ったのに、全ては数の論理でしかなくて。政治と経済もそうで、利害関係がある以上、全ての人を救うことは難しい。誰か痛みをともなうことは仕方がない。それで大学生時代に「what is peace for you」と書いたスケッチブックを持って、世界中いろんな人に聞いてまわったんです。そしたらみんなが「愛」だとか答えてくれて。

世界平和のためには、個人単位での自己の拡張とか、相手のことをどれだけ自分ゴト化できるかとか、それしかないと気づいたんです。私はいま渋谷に住んでいますが、アフリカのスラム街に住んでいる子どもまでみんなを家族だと思えることが、唯一の世界平和につながる道なんじゃないかと。

― そうやって世界を見てきて、自己の拡張という観点で、いまの日本はどう映っていますか。

まわりを見渡してみると、全ての問題が「自他分離」によって起きているなと。例えば、満員電車で困っている人を助けられないとか、ホームレスから目を背けるとか。いきすぎた資本主義と西洋思想によって個人主義が生まれ、いまの世の中の分断や格差につながっています。

だから、シェアという発想が、個人という単位から世の中を変えられるという可能性を感じています。私はシェアリング・エコノミーの専門家ではありますが、シェアという概念・思想を世の中に普及することこそがミッションですから。

― 自他分離解決のために「シェア」が1つのキーワードになると。

はい。まさに「Cift」がその象徴的な場所になればいいなと思うんです。「Cift」のような場所によって、昔のような村社会を実現できるんじゃないかと期待しています。

拡張家族やシェアハウスはどう発展するのか?

― シェアハウスとともに「拡張家族」という新しい家族のあり方は、今後広がると思いますか。

いろんなシナリオがありますが、シェアは経済的なメリットが大きいので、シェアハウス自体は広がる可能性があります。でも、急速にではなく、緩やかにです。今年から景気は後退するといわれますが、消費がますます厳しくなると、生活における共有物は増えるはず。一方で、日本特有の「自他分離」的な思想を急に変えることは難しい。例えば、私がこの前に住んでいたシェアハウスは思想のない単なる「物理的な」シェアハウスでした。

― 実際にはそうしたシェアハウスがほとんどですよね。

そうなると、共有スペースをセミパブリックだと思う人もいれば、自分の場所だと主張する人もいて、喧嘩も起きるんですよね。人間の柔らかい部分を他者と共有できるような気持ちが広がらなければ、日本でのシェアハウスのさらなる発展は難しいと思います。

「Cift」には50〜60代の入居者もいるんですが、彼らは「エイジレス」なんです。歳を感じさせない。結局、こういう人だと年齢は関係ないんです。だから、世代的なことよりも、マインドを変えることに尽きるんじゃないでしょうか。

そういえば、ちょうど去年ここで子どもが生まれまして。私も沐浴をお手伝いしたり、そのお母さんが手術が必要になって、ここから離れた場所に引っ越したときには、みんなでご飯つくって交代で持っていくようなことがあって。これって一種の介護シェアですよね。しかも、こうしたことをみんなが経験できたことで、自分が老後になっても安心だという気持ちになりました。出産時にはみんなで病院の立会いに行って、生まれた瞬間からみんなが見守っている。自分が次に生んだときにも安心だなと感じます。私はバリバリ仕事をしているので、ここで産めば誰かが見ていてくれるだろうという安心もあって。

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― 石山さんは血のつながりのない人同士を家族と捉えているわけですが、一般的なシェアハウスでは入居者がそこまで成熟した意識を持っていないことが多いです。今後日本人が変容していくために大事なこと、どういうエッセンスがあれば、時代は変わっていくと思いますか。

私が提唱しているのは、「信頼の概念を捉え直すこと」です。何を持って相手を信頼するのか、実はこれ、すごく無意識であると。レイチェル・ボッツマンという人が「信頼が3段階からなる」といっていて、第1フェーズが「ローカルの信頼」。信頼は個人の目利きによるということです。第2フェーズが「組織に預ける信頼」。企業の認証マークなどによって信頼が担保されているということですね。第3のフェーズは「プラットフォームによる信頼」です。

「食べログ」のように、みんなの意見の集合によって信頼が担保されていると。例えば、ライドシェアが広がっているのも、普通のタクシーだとぼったくられる心配があるけれど、「ウーバー」なら安心だからですよね。日本ではまだ第2フェーズの「組織に預ける信頼」があまりに浸透しているので、この消費感覚をアップデートしなければいけないと思っています。

ちなみに、個人的には第4フェーズがあると思っていて。第3のフェーズといえど、プラットフォームの情報だって誰かが操作しているかもしれません。だから、企業や国が情報を持つのではなく、分断された個人がデータを持つ信頼に移行していくと思うんです。それがブロックチェーンですよね。シェアハウスでいえば、「Cift」でも独自採用しているコミュニティー通貨のようなものによって、生活における個人の関わり方を可視化できるようになると思っています。

後編では「拡張家族における教育・介護の可能性」をテーマにお話をうかがっていきます。