多世代シェアハウスが体現する豊かな暮らし(後編)
小さな住まい | 2019.1.29
これからの暮らしについて、前回より多世代共生や丁寧な暮らしを標榜するシェアハウス「ウェル洋光台」の戸谷浩隆さんにお話をうかがっています。
10数年ほど前からシェアハウスという暮らし方が一般的になりつつあり、当時シェアハウス文化を体験した若者が、いま次世代のシェアハウス文化をつくりつつあります。
ウェル洋光台の大家である戸谷さんは、まさにそんな立役者のひとり。経営不振に陥ったシェアハウスを立て直した戸谷さんは、現在のシェアハウスをめぐる状況をどのようにみているのでしょうか?(前編をご覧になりたい方はこちら)
多様な人が集う環境で、家族をつくり子どもが育つということ
― 前編では戸谷さんがオーナー代行を務める「ウェル洋光台」を立て直した経緯や、あえてルールをつくらない自治の方針などについて、うかがいました。ウェル洋光台は非常にユニークな個性を持ったシェアハウスとして再生したわけですが、住む人も以前と比べて違う個性が集まっているのでしょうか?
長く住まう人が多いですね。半年前に調べてみたら居住者の平均居住年数が4年ぐらいでした。ここは1ヶ月の短期ステイも受け入れていて、それを含めての平均です。その間には居住者同士で結婚する人や、もともとカップルで入居していて、子どもができた人もいます。
― もうすぐ赤ちゃんが生まれる方もいるそうですね。
福岡ご夫妻ですね。ふたりのお子さんが生まれたら、いまのウェル洋光台は新生児が2人になります。つい3日前に赤ちゃんが生まれたのは、長く住んでいるモコさんと、アフリカとの遠距離恋愛だったオスマンさんのカップル。オスマンさんは、来たときは英語も日本語も話せなかったけれども、いまは馴染んでここで一緒に住んでいます。
― 住人が多様で、とても楽しそうですね。多世代、多国籍な環境で、ごく自然に子どもが生まれて、みなもそれを受け入れてゆく。保育園などの育児施設の建設に際し、しばしば地域の反対意見が噴出する現代において、ウェル洋光台はユートピアのように感じます。
ここには、ごく自然に異なる存在を受け入れる土壌があるのかもしれませんが、ユートピアというわけではないですよ。子どもがいれば楽しいことも多いですが、問題も多いです。
「いつでも問題だらけ」の普通の場所でいい。ただ、まっとうな苦労をシンプルにできる場所でありたいと、思っています。ウェル洋光台で生まれた子どもは、もうすぐ6人になります。
― 多様な人が住んでいる環境で育つことは、子どもの教育という面でもメリットがありそうですね。最近だとシェアハウスに住人主体のフリースクールを併設してくる海外事例も出てきています。
僕自身は、子どもを公立の学校に行かせたいタイプです。なぜかというと、公立の学校は日本の現状を映していて、子どもはそのなかで生きていきますよね。
「ごく普通」の環境でまっとうな苦労をすることは、貴重な経験だと思いますよ。
僕らは時代から完全に自由ではいられず、時代に縛られながらも時代の一歩先を行く人が、時代を変えていくわけですから。もちろん、他のやり方も同じように素敵だと思います。いまのところここには、自主保育をやってる人はいないけど、まぁそれもやったら面白いんじゃない、とは思ってます。逆に教育ママ的な住人がいても面白いと思いますね。
― 多様な教育法が許容される場であるということですね。
海外の人たちが住んでくれていることもありがたいです。いろいろな文化を大人たちが持ち込めば、子どもは「じゃあ、自分はどうだろう」と考えられるようになります。なにより「他者のために何かをすることは、楽しいことなんだよ」ということを、子どもに見てもらえたらいいなと思っています。
ハウスメイトたちが子どもを暖かな目で見てくれていることには本当に感謝しています。僕自身も0歳と7歳の娘をウェル洋光台で育てていますが、長女はこの家が大好きで、家族旅行をしていても、数日経つと家に帰りたいと言い出します。
暮らしのシェア、分岐点は「水まわり」の共有
― 今度は俯瞰した視点からのお話しになりますが、現代はさまざまなコンセプトの多世代シェアハウスが生まれていますよね。業界の状況を、戸谷さんはどのように見られていますでしょうか。
確かに多様なスタイルの多世代シェアハウスが出揃ってきましたね。僕なりに成功例をいくつかのタイプに分類しています。まず、共有スペースがありつつ、各戸に台所、浴室、トイレなどの水まわりが備わっている「水まわり完備型」のシェアハウスは比較的上手く行っている例が多いように感じます。
このかたちだと、子育て世帯でも単身者のように「使ったものは基本的にすぐ元に戻す」というような基本原則にそって水まわりを活用することが可能なので、トラブルが起きにくいですね。「20時以降は大人の時間」といった運用さえも可能ですから。
― 確かに水まわり完備型なら、シェアハウスで人間関係を築きつつ、程よい距離感も保てそうですよね。
ただ、マンションに共有スペースがプラスされるようなつくりになってしまうため、住まいとしては一般住宅よりも割高になる傾向があるのです。
それでもシングルマザー家庭が互いに助け合う場となりうるでしょうし、充実した共有スペースを持ちたいというニーズにも応えられると思います。
もうひとつのタイプとしては「下宿型」シェアハウス。
つまり、ご飯が出てくるサービスがついたシェアハウスですね。これはそもそもご飯をつくらないので、水まわりのバッティングが起こらない。「寮母」さんを中心にして子どもたちは豊かで安定したコミュニティを築くことができます。共働き家庭やシングルマザー家庭のように、家事に煩わされず、仕事や育児にしっかりと向き合いたい人はたくさんいるでしょうから、まだまだ増えるんじゃないかと思います。
― 下宿型だと、家賃にプラスして食事のサービスを購入する感覚でしょうか。忙しい人にはありがたいでしょうね。でも、これもある程度金額は高くなってしまいそうです。
それはありますね。ちなみにサービス付き高齢者向け住宅に、働き盛りの子どもが居る世帯などの高齢者以外の人も入居する高齢者対応の下宿型シェアハウスも構想されています。高齢者とシングルマザーや共働き家庭のシェアは相性がよいのではと思いますね。
― 子どもとお年寄りは相性がとてもよいので、こういった試みは、北欧などでも行われていますね。多世代のシェアハウスが現代の高齢化社会が抱える課題の解決につながるのではないかという期待があります。高齢者を隔離する老人ホームでもなく、また家族が抱え込んで疲弊するのでもない方法があればと思うのです。
高齢者や障がいを持つ人に、どう豊かな未来を提供していけるのかはこれからの課題でしょうね。国の補助金は限られる一方、当事者たちが働いて施設としてお金を稼ぎだして自活していくことも敷居が高いわけです。
ひとつの解決策として、「丁寧な暮らし」に注目しています。みなで暮らしを丁寧に楽しむことの中には多くの場合、ひとり一人その人なりの役割を見つけることができるのです。そして丁寧に暮らすこと自体が、自給によって施設の維持コストを下げることにもつながる。豊かさが生まれるのです。
― 暮らしを楽しむことの効能を生かす点は、「ウェル洋光台」のコンセプトと通じるところがありますね。
そうですね。こういった「丁寧な暮らし」を障がい持つ人のケアにつなげている施設に、例えば藤沢の「さんわーくかぐや」があります。高齢者向けとなると、まだ本格的なものは見当たらないのですが……。こういった方法が、高齢化社会の課題解決の糸口になるのではと考えています。
― なるほど。少し話を戻すと、水まわり共有に関する課題解決が多世代シェアハウスを運営する非常に重要なポイントだということですね。そこをどう解決するかによって自ずと運営形態も変わっていく。
とくに家族世帯がシェアハウスに住むときの問題は、結局水まわりの話になります。子どもがいて水まわりがあるということは、お母さんがキッチンに立つと、子どもは走りまわって、汚しまわるのが当たり前。そうなると、よほどコミュニティが安定していないと、クレームにつながってしまう。
― つくづく、「水」を共有するのは難しい。逆に水を共有してはじめて「暮らし」をまるごとシェアしているといえるのかもしれません。
「ウェル洋光台」のモデルが、暮らしの選択肢になるとき
― その点、ウェル洋光台は台所やトイレ、シャワーなどの水まわりを共有し、家族世帯も複数住んでいます。これは「なるべく水まわりを共有しない」という他の多世代シェアハウスの成功事例が取っている戦略とは、逆の方向ですよね。
そうですね(笑)。畑を共有し、料理や手仕事を住人同士で楽しみ、なおかつ多世代共生を標榜するシェアハウスは「管理」しようとすると、とても難しいのです。だからウェル洋光台では、あえて管理をしないで「迷惑を掛け合うのが当たり前」と思えるぐらい、お互いにコミットするモデルになりました。
― 「管理しない管理体制」について、前編でお話をうかがい感銘を受けました。でも、こういった体制が成り立つのは、住民がリテラシーの高い人であることが前提になるのではないでしょうか?
それが、そんなことはないのです。僕は広く展開できる暮らしのモデルを編み出したいという想いがある。ですから、入居者もなるべく普通の人を入れるようにしています。ここでは、理念やコンセンサスではなくて、共感で物事を進めるので、リテラシーの高い人でなくても大丈夫。むしろ、こなれてない人の方が面白いですよ。
― それは素晴らしいですね。誰もがシェアして暮らすことを選べれば、暮らしの選択肢が広がります。
シェアする暮らしが成り立つようにするためには、「私の愛するこの場所へようこそ」という想いが大切です。居心地の良いカフェだってそうでしょう? マニュアルどころか立派な理念さえなくても、店員がその場所を愛していて、もてなす気持ちがあれば、来る人に伝わるものです。
「ここに出会えて本当に良かった」という普通の人の素朴な気持ちが一番そういう想いを育むんです。
― 住人同士の「もてなす気持ち」が、お互いへのコミットにつながっていく。一般的には、あらかじめ軋轢を避けるシステムがあった方が楽だと思われがちです。しかし、システムに依存すると新生児のような想定外の動きをする存在は、受け入れられにくくなってしまいますよね。人と人のつながりは柔らかいものですが、それ故の強さがあります。
加えて、結局はその方がコストパフォーマンスが高く、採算面でもメリットがあるのです。なにより、住人だけでなくオーナー側ものびのびとすることができる。だからシェア物件を持っている方には、最近「ティール組織」と呼ばれることもある「管理しない管理体制」の可能性を探求してもらいたいですね。そして、シェアハウスにファミリーで住むことが当たり前の選択肢になっていって欲しいなと願っています。
― 無印良品もYADOKARIもファンコミュ二ティの運営やつながりを大事にして活動しているので、ウェル洋光台の運営の方法は、大変参考になります。
ウェル洋光台のようなモデルは、「長屋型」シェアハウスと呼べるのではないでしょうか。
寝室以外の水まわりを共有している点や、お互いの暮らしぶりも受け入れ合う人間関係、個々の部屋の広さなど、共通点が多くあります。取材にうかがい、お茶をご馳走になって住民の方々の様子を見ていると、その賑やかで暖かな雰囲気も、どこか落語の世界に伝えられた、長屋の世界を思わせます。
その雰囲気を構成していることのひとつには、水まわりまでをシェアすることによって、住まいのコストが下げられており、水まわりがコミュニケーションの場になっていることが挙げられるのではないでしょうか?
ちなみに江戸時代の長屋の家賃は当時の平均的な稼ぎの10%程と、かなり安かったそうです。そしてウェル洋光台の家賃も一般的なシェアハウスよりも安く抑えられています。
いま、さまざまなタイプのシェアハウスが増えており、それぞれにメリットや魅力があります。なかでも丁寧に暮らすことが生活のコストを下げることにつながり、人生に余裕を生み出すウェル洋光台のスタイルに、非常に刺激を受けているのです。
シェアハウスはオープンな暮らしの実験場のような場所。それぞれのシェアハウスの試みは、家族などの身近なコミュニティ運営の参考にもなりますし、もっと大きな単位でいえば、地域や国の行政の参考にもなるのではないでしょうか。
これからシェアハウス暮らしを考えている人だけでなく、コミュニティや暮らし方に興味があるみなさんに、ユニークなシェアハウスの暮らしぶりに、注目してもらいながら、これからの「シェアの可能性」を考えることで暮らしはどのように変化していくのでしょうか?
たくさんの感想、メッセージをお待ちしております。