多世代シェアハウスが体現する豊かな暮らし(前編)
小さな住まい | 2018.12.25
シェアハウス住まいが一般的になったのは、ここ10数年ぐらいのこと。いまの若者にとっては、住まい方のごく普通の選択肢のひとつとなっています。
一方で、若者ではない成熟世代のシェアハウスも、このところ見かけるようになりました。若いころにシェアハウスを体験した人々が、集まって暮らすメリットを維持したまま、新しいライフステージに合わせて、シェアする暮らしをアップデートしているのです。
無印良品の家とYADOKARIは、新しいシェアハウスやコミュニティをベースにした空間づくりを実践し、研究するなかで、大人のシェアハウスにも注目しています(小さく住まう、みんなで生きる)。
そこで今回は、日本を代表するシェアハウスといっても過言ではない、多世代共生や、丁寧な暮らしを標榜するシェアハウス「ウェル洋光台」の管理人・オーナー代行 戸谷 浩隆さんに、多世代や家族が集まって暮らす豊かさについて、また現在の日本のシェアハウスの現状についてお話をうかがいます。
インド旅行で気づいた「本当の豊かさ」とは?
― 「ウェル洋光台」のユニークな点は、その歴史。単身者向けのシェアハウスとして2006年に始まり、一時は入居率が落ち込んだものの、2013年のリニューアルを経て、多世代が暮らすシェアハウスに。瞬く間に人気が回復し、現在は入居待ちが出るほどになっています。「ウェル洋光台」のいままでの歩みは、日本のシェアハウス文化を牽引しながら、進化し続けている。現在の多世代や家族でシェアする姿は、日本の未来の暮らしを先取りしているようにも感じます。
僕はもともといち入居者として開業当時の「ウェル洋光台」に住んでいたんです。その後結婚して、シェアハウスを出ていたのですが、「住人兼管理人として、シェアハウスの立て直しをしてくれないか」とオーナーに声をかけられました。
― 立て直しにチャレンジすることには、最初から前向きだったのでしょうか。
もともと社会の役に立ちたいという気持ちがあって、仕事のかたわらに政策を勉強する私塾に通っていました。そういう下地があるところに、シェアハウスの管理人というミッションが舞い込んできた感じですね。
もうひとつのモチベーションは旅で得た知見です。インドに4ヶ月滞在していたとき「本当の豊かさとは何か?」ということをすごく考えさせられたんですね。例えば煙草屋で3〜4人の女性たちが、一日中お喋りに興じている。それがとても豊かだと感じました。だってお金がないなら、そんな働き方はしませんよね(笑)。
ゆったりとコミュニケーションする余裕があるということは、他人のために使う時間や余力があるということです。
日本人は頭のどこかで、インド人は貧しいと思っているかもしれませんが、本当に貧しいのはハードワークで余裕を失っている日本人の方かもしれません。
シェアする暮らしによって、日本にも豊かさを取り戻せるのではないか? インドでは、そんな着想と勇気をもらいました。
― シェアする暮らしの着想を突き詰めた結果、多世代共生や丁寧な暮らしというコンセプトが出来上がったのですね。
共用の畑に関しても、2006年当時からあったものです。ただ、その後、使われなくなってしまって。いまでいうコンセプトシェアハウスのはしりだったんですが、その分維持しつづけることの難しさをよくわかっていました。
畑や手仕事道具など、丁寧な暮らしに必要なものを心地よく使える状態に保ち続けるには、コミュニティの力がとても重要です。結婚・出産しても変わらず住みづつけられれば、10年、20年と長いスパンで住む人が増えて、コミュニティが安定します。
子供がすくすくと育つようなコミュニティを維持できれば、結果として若い単身者の方たちに対しても暮らしの手仕事を気軽に楽しんでもらえる空間を提供できるのではないかと考えました。
― 10年、20年というスパンで住むとなると、若者ではないですね。それで何世帯かのファミリーを始めとした多世代共生のコンセプトができあがったということですか。
はい。それが決まると、「在りたい家」のかたちも決まる。内装などのリニューアルの方向性も、はっきりと見えてきました。
多世代共存といっても、私たちのシェアハウスでは、昔ながらのシェアハウスらしく、できるかぎり身軽な若い方や海外の方に入居してもらってはいるんです。
ただ、それでも、ハウスメイトたちが自然に結婚・出産していった結果、現在は24世帯40人近い住人のなかで、家族・カップルの世帯の住人の方が多いシェアハウスとなりました。子供は新生児も含めて5世帯6人が住んでいます。私たちの長女を除いて、全員ここで生まれた子供です。最年長は、50歳代後半のアメリカ人の方ですね。
都会で丁寧に暮らすには、「持ち寄る」ことが必要だった
― 先ほど「ウェル洋光台」の各お部屋を案内していただきましたが、暮らす喜びに溢れていますね! とくにひろびろとした台所が素敵です。
料理やお菓子をつくる道具がひととおり揃っていますよ。食べものひとつとっても、丁寧につくって丁寧に暮らすことは、喜びにつながります。
でも実際は都会では簡単ではないですよね? お菓子をつくりたかったらお菓子道具一式がいるし、パンを焼きたかったらガスオーブンも必要ですし、裁縫をしたかったら裁縫道具もいるし、いろいろ物入りなわけです。
それを全部揃えると贅沢になってしまう。暮らしそのものを楽しみたいだけなのにね。
― 丁寧に暮らしたいけれど狭い居住環境と両立できないという悩みは、都会では一般的なものです。
それを解決するヒントは、長屋暮らしにあると思うんですね。ミニマルな暮らしと生活の楽しみを両立できるのが、長屋暮らしだと思うのです。プライベートな居住スペースは少なく、共有部分を多くとって、お互いのモノや時間やスキルを持ち寄って、小さく広く暮らす方法が有効だと思うのです。
― タイニーハウスを提案するうえで、YADOKARIも長屋的なライフスタイルには注目しています。「ウェル洋光台」での暮らしについて、もっとうかがいたいですね。
ガチガチにルールを決めすぎないで、「ありのまま」を生かし合う
それぞれの住人の発想を生かして、自由に暮らしをつくっていけることが、このシェアハウスの特長です。
DIYで環境を改善しようという人がいれば、資材やツールを貸して、やってもらう。みんなの暮らしに貢献した分は、家賃が安くなることで還元される仕組みもあります。そして、変える自由があれば、戻す自由もある。そこはwikipedia(ウィキペディア)方式なんです。
― 他の人のために時間や労力を分け与えることに価値を置きつつも、その方法をルール化したりはしないんですね。
はじめは僕も目に見える自治の仕組みがたくさんあった方がよいと思ったのですが、そういうかたちのあり方は持続しませんでした。いまでは住人それぞれが自然発生的にアイデアを実現しています。
例えば、誰かがアンチョビのつくり方を教えると、自然とみながつくり出して「アンチョビ部」が結成される。そうすると余剰が出て、おすそ分けが増える。フリー食材をシェアする冷蔵庫が、この家にはあるんですよ。そんな自由な活動の先に自治があるのではないかと、思うようになりました。
― 住まう空間や食べる物、喜びや労働もシェアしあう。そういう土壌が日頃からあれば、ガチガチに固められたルールは必要がないのかもしれません。
もちろん問題は起こりますが、それもシェアする。ありのままを受け入れることが大切だと思います。海外の方たちは、そのような風土づくりにおいて大切な存在ですね。実際、外人ハウスと呼ばれる老舗のシェアハウスは、比較的ゆるい管理で運営できているみたいですよ。
― 問題を起こさないためのルールで縛ると、のびのびと暮らすことが難しくなります。ありのままを発揮して、良いところは生かし、問題点は共有して解決するというあり方は、今後の組織や家族のあり方として学ぶところが多いですね。シェアハウスは、いわば家族の公開実験場みたいなもの。多様なシェアハウスの現在を見てみると、社会や家族の課題解決につながりそうです。
なるほど…。その話をすると長くなりそうです。
― 後編では、そのあたりのお話をうかがいましょう(笑)
後編では、「ウェル洋光台」で暮らした人々のエピソードや、現代のシェアハウス事情についてうかがいます。