「クルマ以上、家未満。都市型バンライフがかなえる、新しい暮らし」(前編)
小さな住まい | 2018.6.26
YADOKARIがタイニーハウスに注目したのは、自分たちが必要としていたから。
設立当時、家族をもったばかりだった代表ふたりが、ローンにしばられない自由な暮らしを実現するツールとして、タイニーハウスに注目したのです。そんな経緯もあり、僕らは自らのモチベーショに従って新しい暮らしを模索する人に対して、常に共感と尊敬の気持ちを持っています。
今回インタビューした池田秀紀(愛称:ジョニー)さんは、まさに人生と暮らしの実験が創造的にリンクしている人。札幌国際芸術祭にも参加した「暮らしかた冒険家」の活動を経て、「ハイパー車上クリエイター」として実験を続けるジョニーさんの今を聞きました。
地方から東京に戻ったときの“逆都落ち感”がすごかった
― 確か出会いは、4年ぐらい前でしたね。僕らがジョニーさんの登壇しているトークイベントを見に行ったときのことです。ジョニーさんの新しい暮らしを実現するための卓越した発想と、それをスタイリッシュにプレゼンテーションするウェブクリエイターとしてのスキルに感動して、思わず「YADOKARIの共同代表になってほしい」とTwitterで呟いたんですね。そしたらすぐに反応してくれて。
YADOKARIと出会ったころは、子どもが生まれるころでしたね。東京から移り住んで暮らしていた熊本を離れて、札幌へと2度目の移住をしたタイミングでした。もともと僕は関東の出身で、ずっと東京に住んでいたのですが、東日本大震災を機に熊本に移住しました。熊本では、月3万円で借りた古民家をセルフリノベーションして住んでいたんです。セルフリノベーション「リノベ鬱」になりそうなくらいハードでしたが、前の奥さんが「これって暮らしの冒険だよね」と言ってふたりで納得しました。
― それで「暮らしかた冒険家」として活動するようになったんですね。
冒険といえば誰も見たことのない景色を見るために「外に」出てゆくことだと思われがちですが、そのとき「僕たちは家のなかで冒険をしているんだ」と気づいて。
その後札幌で坂本龍一さんがディレクションする札幌国際芸術祭2014に呼ばれて、アートとして自分たちの暮らしを展示することになりました。坂本さんが僕らの熊本での暮らしを知って「その暮らしそのものを札幌で展示したらどうか」と声をかけてくれたんです。
― ジョニーさんがウェブクリエイターとして活動する傍ら「暮らしかた冒険家」として古民家をセルフリノベーションする過程を発表していたのは、4~5年前。いち早くそういったムーブメントをつくられていた感があります。僕らも刺激を受けて、一昨年に軽井沢の築40年のボロボロの空き家をDIYでセルフリノベーションしたんですよ。
現代では、とくに都市部では、下手したら家賃やローンのために働いていると言っても過言ではないと思うんです。大事な家族と過ごす時間を削ってまでして、その「家」に貴重な時間をつぎ込むのってどうなんだろうかと。そして、そもそもそうやって手に入れた家は、ほんとうに欲しいものだったのか? という反省から、近年、リノベーションや小屋ブームなどが出てきたものと理解しています。
僕らもそういう問題意識から、お金や時間の使い方を徹底的に見つめなおしてきました。
― 自分たちの暮らしの課題を解決することが、僕らの世代にとってすごくエキサイティングな冒険なんだという考えに、とても共感します。
実際に札幌での暮らしは、僕にとってひとつの理想でした。一軒家に手を入れて改装し、近くに畑もあって、薪ストーブを焚いて。子どもが生まれて3人家族にもなり、いよいよ僕のなかで思い描いていた暮らしが完成しつつあったんです。
ところが今年に入って、離婚をすることになり、僕は札幌を出てひとりで東京に戻ってきました。それが今回お話するバンライフ(車を家のように改装して暮らすこと)を始めるきっかけです。
― ある意味不可抗力的に現在の暮らしに移行したわけですね。離婚後東京に戻られてから、バンライフを始めた経緯を教えてください。
家も畑も、カネも家族も、すべて手放して。まず埼玉にある実家に戻ったのですが、そのときの荷物がスーツケース2つだけだったんです。
― ミニマルですね。どんなものを手元に残されたのですか。
着るものと、僕が大事にしているTaguchiのスピーカーと、コーヒーセット。あとはドローンかな(笑)。
ほぼ寝るためだけに埼玉の実家に住んで、東京の仕事先と通勤電車で往復するのも苦痛だし、でも都心でベッドだけの部屋を借りるためだけに10万円支払うのもナンセンスだし。札幌の家賃は一軒家で2万円だったので、今更東京で狭い部屋に高い家賃を払うことに「逆都落ち」感がありました。
― 東京の住居費の高さがうみだす負のスパイラルから離れ、大きな冒険を経て札幌で理想の生活を手に入れたわけです。それがまた東京の基準に合わせることになるのは、後退している感覚があるでしょうね。
地方でよい感じにやっていた分、それは嫌だなと。ネットさえあればどこでも仕事はできるし、ミニマルで快適な小さな部屋で十分だし。だったらいっそ車でいいなと。それが「移動」できると考えたら、興奮して。それでバンライフをするに至ったのです。本当は今年、暮らしかた冒険家時代につくった映画を携えて、家族でバンライフしながら全国キャラバンする計画もあったんです。離婚してしまったのでそれもかなわずですが(笑)。なので、僕にとってはある意味自然な流れでした。
高級ホームレス?! 高級ベッド搭載のベンツが提案する新しいバンライフ・スタイル
― 世界でじわじわと注目されてきている、車を改装して暮らすバンライフ。いろいろなやり方があると思うのですが、ジョニーさんはどのような考えで今のスタイルに至ったのですか。
周囲には軽トラックを利用したバンライフを実践している人もいたんですが、ちょっと僕には真似できないと思いました。狭すぎるのと、僕はちゃんとしたベッドがないとダメなんですよね。そこそこいい歳したオッサンなので疲れが…(笑)。逆に僕は高級ベッドだけ置けたら他は本当にミニマルでいいと思ったんです。なので、立って歩けるほどのでっかいバンにドーンとシモンズのセミダブルベッドを置くイメージがすぐに浮かびました。あとはよい音のスピーカーがあって、美味しいコーヒーを淹れられたらいい。まさに「無印良品の小屋」がクルマになったような、そんなスタイルがピーンと閃いて。
― シモンズは高級マットレスですよね。それにベンツのバンを合わせる。
僕はオートマ車の免許しか持ってなかったくらい、全然車のことを知らなかったんです。熊本にいたときの兄貴分で車に詳しい人がいて、その人に「バンライフしたいんだよね」と言ったら「こんなのどう?」って提案されたのがベントラ(ベンツ トランスポーター、いわゆる貨物車)でした。
「マイホームはベンツです」って言ったら、聞いた人は混乱しますよね。「こいつ、カネ持ってんのか、持ってないのか、わかんない!」って(笑)、それがめっちゃ面白い。
車上生活というと、いまは負のイメージを持つ人が多い。それを払拭して新しい暮らしの可能性に気づいてもらうには、インパクトのあるスタイルが必要だと思ったんです。
― 確かに、スタイルは大切ですよね。僕らもタイニーハウスを提案するときに、おしゃれで真似したくなるようなライフスタイルとしてプレゼンテーションすることが、絶対条件だと思っています。いまの時代、発想が優れているだけでは広く伝わらないですから。
他にもトヨタのクイックデリバリーとか、ハイエースとか、あとワーゲンのヴァナゴンとか、別の車種も候補に挙がったんですけれど、ある意味ネタ重視でベンツでした。「都心でベンツに住んでます」って言いたいためだけに(笑)。カクカクしたかたちといい、車中で立てるサイズ感といい、インパクトといい、もうあれしかないという感じだったんですね。25年前の車種で、すごく古い車なんですけど。
― ベントラはどうやって手に入れたんですか?
ネットで検索したら、東京で、まさにベントラでバンライフしている人がいたんです。しかもすでに3年ぐらい暮らしている。そこで駄目元でその人にコンタクトを取ってみたら「実は今月には手放そうと思っていて」ということで、今年の3月に見せてもらいに行って、その3日後には「買う」と伝えていました。
― すごいタイミングですね。なるべくしてなっている。
そう。僕は突拍子もないことをやっているようでいて、実は確信があることしかやらないんです。自分のなかではイメージが出来上がって、あとは行動するだけというタイミングで、理想的な選択肢が出てきたから「いまでしょ!」と思って。逆にそこからいろいろ準備したんですよ。購入を決めた時点ではお金もない、駐車場もない、そもそもマニュアル車の免許も持ってないから乗れないという状態でした。普通は嫁さんに間違いなく止められるけど、いなかったので(笑)。
― その状態が今年の3月で、その1ヶ月後には、永田町でバンライフを始めている。すごいことです。
免許もとり、お金の目処もつき、一番ネックだった駐車場も友人に相談すると「それなら」と協力してくれて、とんとん拍子で決まって。感謝しかないです。
そんなわけで、いまはこの永田町グリッドのみどり荘に入居しています。大きなキッチン付きで、ラウンジ感溢れるいい感じのリビングや屋上テラスもあるんですよ。それも大きな決め手でした。
― ここで 「バンLDK」 というコンセプトも生まれたんですよね。
後編では都会の真ん中、永田町でのバンライフ(=バンLDK)について、うかがいます。