古い木造アパートの再生
住まいのかたち | 2009.5.5
1960年代、日本の都市の急激な人口増加に対応するために木造の賃貸アパートがたくさん建てられました。
その多くが共同玄関から靴を脱いで入り、共同炊事場、共同トイレがあり、自分の部屋がある、といった建物です。それぞれの部屋には丸いガスコンロが1台置かれているような賃貸アパートです。
だいたいが大家さんの名前か、または「あけぼの荘」とか「日の出荘」とかいったたぐいの明るい名前がついています。
そこに住む人はさまざまです。学生や若者だけでなく、若い夫婦や仕事を求めて地方から都市にやってきた人たちも住んでいたでしょう。日本は高度成長の真っただ中、今日より明日が必ず豊かな時代となると、誰もが未来の成功を夢見て過ごしていました。漫画家の手塚治虫や仲間たちが住み続けた「トキワ荘」のように、同じ夢をみる青年達が一緒のアパートで切磋琢磨しながら住んでいたというようなお話もよく聞きます。
今のような完全なプライバシーが保てた訳ではない木造賃貸アパートです。隣や上の階の音が聞こえたり、匂いも音も、少し漏れてしまうような建物です。そこに住む人たちは、お互いの気配をどこかで感じながら過ごしたに違いありません。炊事場で顔を会わせれば会話もするし、トイレも譲りあいをしなければならなかったでしょう。
わずらわしい部分もありますが、共に住んでいるという安心感やいざという時の助け合いなど、良い部分もたくさんあったでしょう。それから40年近くが経とうとしています。今こうした木造賃貸アパートは、めっきり少なくなりました。しかし街を歩いていると、時折そうした古い木造賃貸アパートに遭遇することがあります。そこでは建物だけでなく、周りの環境も含めて、昔ながらの風景がそのまま残っていたりします。
道路に面して盆栽が育てられていたり、外にテーブルを出していたりという風景です。日本の中で失われつつある向こう三軒両隣といった風景もそこには存在しています。ふと数十年前にタイムスリップするような感じです。とても懐かしく思うのはそんな時間の流れを感じるからでしょうか。戦後の日本の急激な都市の発展と一緒に過ごしてきた建物は歴史を物語る大切な建物かもしれません。
古い木造賃貸アパートが残っているのには理由があるのでしょう。例えば、接道条件が悪く再建築ができない土地であったり、建て替えの資金が捻出しにくかったり、人が住んでいるためだったり…などが考えられます。
しかし、この古い建物もそろそろ役割を見直す時期がきたのかもしれません。建物も老朽化していますし、機能的にも現代の生活に合わなくなっています。
そこでこうした建物を壊して建て替えるのでなく、なるべく費用をかけずに再生させてみるのはどうでしょうか。
構造体を補強するなど安全性は確保しながら、つくり直していく。
以前のコラムでも書いたように、共有部分を充実させてみんなが集うリビングのような空間をつくるのもいいかもしれません。一人ではなく数人で一軒を借り、共同のワークスペースやアトリエを持つというのもあるかもしれません。
景観や環境を壊さない古い木造賃貸アパートの再生は、街に対して必要な建物としての価値を見いだせそうな気がします。
現代の都市の中でまだ探せばありそうな古い木造賃貸アパートを見直しながら、その建物とまわりとの関係をもう一度つなぎ合わせていくことができればいいと思いませんか。
壊して新しくつくる時代は、もうすぐ終わろうとしています。壊して建て直すのではなく、古いものにもう一度新しい命を吹き込んでいくこと。
みなさまのまわりにある古い木造賃貸アパートを、もっと価値あるものに再生してみるというのはいかがでしょうか?
2009年5月5日配信 無印良品の家メールニュース Vol.133より