vol.15 練糸の家
「無印良品の家」で暮らしている方を訪ねて群馬の織都桐生へ。
テキスタイルデザイナーの須藤玲子さんが、
英国と日本をつなぐ「窓の家」に会いに行きました。

施工例 | 2014.2.21

ダイアログ2

Kさんのお仕事とデザインの話

須藤さん
Kさんがイギリスで刺繍やテキスタイルの勉強をしたきっかけは何だったんですか?
イギリスでは最初はグラフィックデザインを学ぶつもりだったのが、基礎コースを修めてから、テキスタイルが面白いと思うようになってその専門コースに進んだんです。ファッションにデザインがあることはもちろん知っていましたが、テキスタイルのデザインは未知の世界で、でも、子どもの頃に母が手編みでつくっていたのを見た記憶が蘇ったり、その世界にもデザインがあったことに改めて気づいて、それから急にその奥深さが見えてきて、引き込まれた感じですね。

須藤さん
あのオットマンの上に掛かっているピンタックのテキスタイルもステキよね。
あれはハンドで一つ一つつまんでいるんです。パリのアトリエにいた頃にクチュール用に自分でハンドメイドでつくったもので、素材違いをコレクションで使ってもらいました。
須藤さん
パリにもいたのね。
クチュールの仕事が夢で、ロンドンで学生生活を終えてすぐにパリに。自分がつくる立体的で、手の要素も加えたモダンな雰囲気の布がどこまで受け入れられるかを確かめたかったんです。学生時代にスイスのヤコブ・シュレイファーで仕事をしたことがあって、3ヶ月くらいデザインの仕事をしていたのですが……。
須藤さん
ヤコブの刺繍は浮いているような立体的な加工も特長的ですからね。
ええ。自分の中ではヤコブと同じことをやっても、あの世界は越えられない。一方でパリにはルサージュという刺繍の名門アトリエがありますが、あのアーティスティックな手作業の刺繍も越えられない。この二つの限界が自分の可能性の幅になり、その間に自分のやりたい世界があるんじゃないかと考えて、それであのハンドメイドの布を自分の手でつくってみたり……。
須藤さん
すごい、世界中のオートクチュール・メゾンの刺繍を手がけるルサージュでも仕事をしたの?
ルサージュでは仕事はしていないですね。パリで働いていたアトリエがルサージュに刺繍を依頼していたので、作品に触れる機会はあって、それを目の当たりにして、この世界に到達するには想像できないくらいの時間がかかるんじゃないかと、打ちのめされた気分になりました。
須藤さん
ルサージュはすべて手作業ですからね。
触れるだけでルサージュの職人の素晴らしさを実感できて、それを感じることができただけでも良かったと思っています。この二つのハイエンドの世界を通して自分の立ち位置がようやく見えてきて、日本に帰って少しもやもやしている時期に、桐生の今の会社に出会ったんですよ。当時は生産工場だったんですが、ここで企画の仕事に関わると面白いことができると直感して、それを社長に話をしたら今のポジションを設けてくれて、桐生に移り住んでもう8年ですね。

暮らしをもっと自由に考えてみる

夫・妻
須藤さんのお住まいはどんな感じなんですか?
須藤さん
私の家は今から20年くらい前に建てたのですが、土地探しも家をデザインしたのも主人(建築家です)だったのね。私は自分もデザインの世界で仕事しているので、主人の仕事の領域に踏み込むと大げんかになるのは目に見えていたので、プランも見なかったし棟上げにも行かなかったの。一つだけ希望したのはキッチンとお風呂場だけは白いタイルを。それだけね。
ぼくも建築家に設計依頼したい気持ちもありましたが、デザインに関して「ああしたい、こうしたい」は、プロ相手には言いづらいですよね。それよりこの「窓の家」の良さをうまく引き出しながら、自分なりの家にしたいと思ったんですよ。
須藤さん
建築のプロセスも楽しんだのね。
私は桐生が地元で、都心の暮らしに比べると集合住宅を探すよりは家を建てるほうが身近でしたから、「私たちも家を建てる年齢になったのかな~」と思ったくらいですね。彼は好みがハッキリしてるので、相談するときにはもう決めているんだろうなと思ってましたし。良い意味でこだわりが強いので。
たまにはちょっと強過ぎるかな~と……。
須藤さん
ロンドンに住むことも桐生に住むことも、ご主人のこだわりがあったのかな~って思いますよ。
自分の手を動かして、モノづくりの現場の近くで何かをつくっていきたいという想いがあったんですよ。東京のデザイン会社で企画の仕事をするより、机のすぐ隣で作業ができる環境がある職場を求めていたんですね。それで、じゃあ産地で仕事を探そうと思って桐生に辿り着いた感じですね。
須藤さん
奥様もテキスタイルのお仕事なの?
私の実家は宿泊業を営んでいたので、テキスタイルはまったく門外漢で、桐生で生まれ育ったのにテキスタイル・デザインという世界があることを知らなかったんですよ。彼に会って初めてそんな仕事があることを知りましたから。ただ、母の実家は機屋でしたね。
須藤さん
奥様のご両親はこの家を見てどんな感想を。
彼らしい家ができたと思っているはずです。彼の両親も何度も訪れましたが……。
変った家だと思ってるでしょうね。あははは。
須藤さん
お風呂場を2階に設けるのも珍しいわよね。普通の家だと水まわりは1階に集約することが多いと思うのですが。
ぼくには寝室と浴室は同じフロアにつくるイメージがあったので自然に2階になりましたね。
私もアメリカで暮らしたとき、ホームステイしていたお宅は2階に寝室とシャワーがワンセットでつくられていたので、ここでも違和感はなかったです。
須藤さん
なるほど。トイレも1、2階両方にあるのね。
就寝までは家族で1階で過ごして、2階は眠るために上がる生活です。1階には床暖房を入れていて、2階は寝るだけなのでその暖気で自然に温まっている感じですね。桐生は冬の寒さが厳しいのですが、家の中は快適ですよ。
須藤さん
居心地が良いから友人も集まりやすいんじゃないかしら。
そうですね。桐生にはロンドンで一緒に勉強していた友人が何人かいますし、年に何回かは家に集まって食事会を開いたりしてます。女性の友人は最近は妻のほうが仲良しで。
同世代なんですよ。一緒にお出かけしたり。
須藤さん
そうそう、イギリス各地の美術大学でテキスタイルデザインを学んだ若者たちが東京ではなく産地の桐生で働くというので、業界では話題になったの。新聞のニュースにもなりましたよね。
少し前まで、日本では美大出身者は、デザインオフィスやメーカーなどでデザインプランニングの仕事に携わることが多く、産地も学生も何となくものづくりの現場に入りづらい雰囲気があったと思います。でも、欧米などでテキスタイルを学んでいる若者と話をすると、産地の機屋でものづくりに関わることが当たり前で、むしろそれを目指していた。私はそんな様子を見て素晴らしいなって思っていたの。そのイギリスの空気をKさんたちが日本に持ち帰ってくれたのね。今では産地に入る美大の卒業生も増えて、産地発の企画も始まろうとしています。
確かに増えてきましたね。僭越ながら、産地は昔の栄光の時代を、若い世代で乗り越えないとダメだと思うんですよ。ものづくりでは国際競争の厳しい時代を迎えていますが、ぼくたちは新しいアクションを起こして、ここ桐生でしかできないものづくりを探していかないといけないのだと思っています。
須藤さん
そうね。八王子もそうだし、富士吉田なんかもそういう雰囲気があります。Kさんはそんなムーブメントのパイオニアなのよね。
ぼくの場合は新井淳一さんが桐生在住だったことが大きくて、新井先生を通してこの街に受け入れられたこともあり、親しみを持って町に入ることができたんです。そうするとロンドン時代の友人も桐生に集まってきて、また、暮らす環境が良くなっていく。ぼくの場合は刺繍ですから、テキスタイルとは少しスタンスも違うので、彼らから生地を提案してもらったり、生地を織ってもらったり。友人同士の関係で会社を越えたプロジェクトも企画しやすいです。
須藤さん
素敵なつながりですね。私は1982年に、新井さんとは彼の最初の作品展を見に行ったことがきっかけで、デザイナーとして仕事をする決心をしたのよ。偶然ね?ところでイギリス留学でご自身にどんな変化がありました?
ぼくがロンドンに初めて行ったのは1999年で、その時が初めての一人暮らしでした。それまでは実家で何不自由なく暮らしていたのが、生活のすべてを自分で決めなければならず、最初は大変だなと思いました。でも、料理したり自分の好きなインテリアを考えたり、それができるようになると、ようやく暮らしが「楽しい」と思うようになった。ロンドンには世界中のいろんな文化背景を持つ友人たちに出会って、その友人の家に遊びに行くと「こういう暮らし方もあるのか」と新鮮な驚きもありました。その頃から自分はどう暮らしたいのかを考えるようになり、そこから建築にも興味を持つようになったんです。
須藤さん
イギリスでは自分の住まい観がずいぶんと変ったんですね。
かなり変りましたね。日本では両親が建てた家に当たり前のように暮らしていましたが、イギリスでは借家でも自分たちでリフォームして、壁を塗り替え、自分で自分のためのスペースをつくり出していた。気分が変わればまた壁の色を替える。そこに実家生活の頃には考えられなかった暮らしの自由を感じましたね。