vol.13 春秋の家
「無印良品の家」で暮らしている方を訪ねて奈良・平群谷へ。
映画監督の河瀨直美さんが、大きな桜の樹に寄り添う「窓の家」に会いに行きました。

家に会いに | 2022.12.14

こちらは、2013年7月公開されたものを再編集しています

プロローグ

たからもの

住まいには花が必要だ。どんなものでもいい。生きているもの。だからわたしは必ずそれらをかかさない。やがて、できれば庭が欲しいと想い始める。地面に根差して空に向かって伸びゆく木々が大きな窓から見えるのなら、そしてそれらが風に揺れている姿があるのなら、そんな場所に暮らしたい。夕日が好きだ。夕暮れの、夕飯の匂いの、あの場所へ帰りたくなる。西に沈む太陽の、赤い、オレンジの、黄色い、記憶の中の太陽たちは、それぞれにみな温かい。それらはふいにわたしの脳裏をかすめ、そこへ帰りたい衝動にかられる。大人になって、新しい家族ができて、子どもが生まれ、育んで、そんな記憶の断片のような日常が繰り返されてゆくのなら、わたしはそれを幸せと呼ぶだろう。きっといつか、それらが過ぎ去り、その家がもう誰も暮らさない場所になったとしても、そこは誰かの記憶の奥底に刻まれて色褪せず、永遠という名のもとにあり続ける「宝物」なのだから。

河瀨直美|かわせなおみ
映画監督
奈良生まれ。1997年『萌の朱雀』でカンヌ国際映画祭カメラドールを最年少で受賞。07年『殯の森』で同映画祭グランプリ受賞、09年には「黄金の馬車賞」を女性、アジア人として初受賞する。
第66回カンヌ国際映画祭ではコンペティション部門の審査委員に。
地元奈良で映画制作を続けながら「なら国際映画祭」のディレクターも務める。

ダイアログ1

だから、ここに建てました

「窓の家」
I 邸|奈良県、2012年5月竣工
延べ床面積: 90.50m²(27.37坪)
家族構成: 夫婦・娘

河瀨直美さんが会いにいった家

長女の誕生をきっかけに「新居」を考えるようになったIさん。
当初は戸建住宅だけではなく、古い集合住宅のリノベーションも選択肢に。
でも大事だったのは「住まい方」の形ではなく、自分たちが「暮らしたい」のはどんな場所なのか、でした。
Iさん夫婦は夢に怯むことなく、自分たちが根差す大地を求めさまざまな景色に身を置き、場を吟味し続けたのです。
やがてインターネットの情報で、大きな桜の木がある川沿いの土地に辿りつきます。
眼下には万葉歌人が詠んだ紅葉の川。
40年以上前に造成された古い住宅地は、地域の人々の手で閑静で、落ち着いた環境が保たれていました。
この街の一員になろう。季節に移ろう風景と暮らしたい。
選ばれた景色と暮らす「窓の家」が、静かに根を下ろしました。

「こんにちは~」
「お待ちしてました」

河瀨さん
私もよく無印良品は使っているので、そのシンプルさやセンスで、どんな住まいを提案しているのか興味がありました。若い夫婦のシンプルな暮らしぶりを拝見するのも楽しみです。

豊かな土地に最小限の家を置く

河瀨さん
家づくりにはどのくらいの時間をかけたんですか。
土地探しからだと2年くらいですね。当時は新築だけではなくいろんなカタチを考えていました。でも、やがて土地のほうが大事だと思うようになって、自分たちが共感できる「雰囲気」を求めて家族でクルマで巡りました。
だからまず風景ありきで土地を探しましたね。どんな素敵な家でも、周囲の環境が悪くてカーテンを閉めて暮らすのはちょっと違うかなって。
河瀨さん
多くの人は家への憧れはあるけど、理想を求めて探し歩くってなかなかできないですよ。
そうかもしれないですね。

河瀨さん
実際に家を建ててみて、Iさんの人生にとっての家の役割って何だと思いました?
ぼくは大学で建築を学び、これからも建築を勉強しながら生きていくつもりなので、家について自分の答えを一つは欲しかった。だから、今の私たちにとっての最小限の住まいをつくってみたかったんです。家は土地に根差すものだと思うので、土地が良ければ上の器は最小限でいいという考え方でした。
河瀨さん
その最小限の家として「無印良品の家」に出会った……。
ええ、外観から細部までプレーンで清廉なイメージが自分たちが思い描く家に近かったんです。住宅展示場の住宅は私たちには過剰な印象が否めませんでした。
こだわりがなくて、さらっと「いいね」と思える家ですし、「こう暮らしなさい」と強要されないのも気に入ったところです。

手づくりが楽しくなる住まい

河瀨さん
ここに並んでるのがKちゃん(長女)のお洋服。かわいいですね~。手づくりなんですか。
この子が春から幼稚園に行くようになって、その時に幼稚園グッズをつくり始めてから針仕事に火が着いた感じです。
ホントにつくりまくってるもんなぁ。最近は。
河瀨さん
女の子だとつくりがいがありますよね。シンプルでかわいくて、既製品より愛着がわいていいですよね。ね、Kちゃん
長女
うふふ
河瀨さん
さっきいただいたお菓子も手づくりでしたよね。
この家で暮らしてから手づくりの才能が開花した感じですかね。
そういう気分にさせてくれる家なんですよね。何かつくりたいな~って。マンション暮らしの頃はこんな気分にならなかったですし。
河瀨さん
奥さんをやる気にさせる家なんだ。これはスゴイことです。
開放感と環境は重要ですね。

河瀨さん
今日、お家を拝見して感心したのは、とてもシンプルな暮らしぶりですね。生活していると余計なモノがどんどん家に増えてきて、使わないのについしまいこみがちですが、でもこんなふうに簡素で丁寧な生活を送ると、本当に大事なものをまっすぐ、見つけやすくなるんじゃないかと思いました。
ぼくと妻が出会ったのは大学時代の京都の町家の調査だったんですよ。町家って柱と梁だけで余計なものがないんですね。その簡素な空間を、毎日キレイに掃除して季節ごとに必要なモノだけで暮らしている。そんな潔い暮らしに出会った体験が今も二人に息づいてるんだと思います。妻が整理整頓して、モノの居場所を決めてくれるので、自分は出したモノを戻すだけでいい。
河瀨さん
毎日の積み重ねって大事。昔の人たちが暮らしの中でちゃんとやっていたことなんですけどね。高度経済成長に育った私たちの世代は、モノをたくさん持つことが豊かさでしたが、モノに溢れガチャガチャした暮らしは、大人は何とか冷静さを保てても、子どもには耐え難いものだと思うんですよ。若い二人がこんなシンプルな暮らしを実践していることにちょっと感動しました。

ダイアログ2

土地が持っている「雰囲気」

2階に上がってもいいですか?

河瀨さん
ここがKちゃんのお部屋になるのかな。
ええ、将来は……。
河瀨さん
ここにはレールだけありますが、引き戸も取り付けられるんですね。
将来は子ども部屋として扉で仕切ることもできるし、パーティションで仕切ることもできると思います。将来、長女が自分の部屋をどうしたいか、考えてもらえばいいかなと思ってます。

河瀨さん
あ、2階の窓からも桜を眺めることができますね。
そうなんです。ここからの景色がまた良いんですよ。
家ができるまでは地面から見える景色しか知らなかったけど、家ができて2階に上がってびっくりしました。
想像を超えた景色が広がっていました。信貴山も見えるんですよ。
河瀨さん
なんだか絵が飾られているみたいですね。
「窓の家」は景色を四角く切り取って、絵画を楽しむように「外部」を暮らしに採り入れるのがコンセプトなんですよ。
河瀨さん
なんだかぼーっとしちゃいますね、この景色。
窓から緑を楽しむ暮らしを求めて建てた家ですから。
最初の頃は家を建てようとは思っていなくて、いろんな選択肢があると思っていました。当時はまだ20代でしたから、中古マンションをリノベーションしようと考えたこともあったんです。でも、さっきも話しましたが、やっぱり土地のほうが大事かなと思ったんですよ。
土地によって雰囲気がぜんぜん違いますからね。
ここはリッチな人が多そうで、ちょっと無理かな~とか。雰囲気を重視して探すといろいろあるんだなぁと思いました。
河瀨さん
その場所、土地で生きているというのは、私の映画のテーマでもあるのですが、土地には土地の記憶があって、そこで暮らしてきてきた人の記憶や歴史が「雰囲気」をつくっていると私は思うんです。私の場合はそれが奈良で、裏に流れているのは万葉集でも詠まれている川で、ふらりと歩いていると川面からゴイサギが羽ばたくと、こういう景色を万葉歌人は詠んだのかな~って。土地を介在して時空がつながっていくんですよ。
ぼくにもそんな感覚ありますね。風景の中に歴史の面影が見つかると、ふと心が熱くなる瞬間があります。長い歴史の中にいろんな人の営みがあって「今」がある。そう思うことがあります。

そこに暮らすこと、生きること

河瀨さん
この家の前の坂を上ってきたときに、ここも昔は山やったのかなって思いました。吉野の、道路が整備されていないような過疎地は、人がいなくなり建物も山に還っていくのでしょうけど、土地の記憶としてはもったいないというか……南朝時代からの大きな梁と大黒柱の家が今も残っていますからね。こんな大きな梁を、当時どうやって棟上げして、この家に何代の歴史が刻まれているんだろうと思って。そんな家でも、村に仕事がなければ子どもは都心に出ざるをえなくて、暮らしが失われ、やがて家が朽ちていく。その一方で新しい家がどんどん建てられている。

仕組みも大事かなと思います。インターネットがつながれば仕事のできる人もいますから、インフラが整備されて、その土地や家の所有者がそんな人たちを迎え入れれば、過疎問題も改善されるのではないかと思うことがあります。ただ都会と田舎は人のつながりがあまりないし、それも問題だと思いますが。

河瀨さん
ほかから移住してきた人がその村の一員として認められることは「村入り」って言うんですよ。この村入りがとても難しいんですね。山間の小さな村は日常のほとんどを近所のお付き合いで占められていますから。それを見過ごして、ただ環境が良いからと引っ越しても、いきなり田舎暮らしはできないですよね。
確かに田舎は共同体の一員になって生きていかないと、生活できない厳しさもありますから。
河瀨さん
Iさんが土地の「雰囲気」についてお話しされてましたが、風景や環境だけでなく、そこで生きている人とともに日々の生活を送れるのか。自分がその雰囲気の一部になれるのか、その覚悟も必要よね。
大きな家族の一員になるような感じなのかしら。
河瀨さん
村生活は1カ月の生活費のほとんどがお付き合いのお金ですからね。家はあるし、農村なら食べるものもある。だから冠婚葬祭や日々の付き合いにかかるお金だけです。
ぼくも田舎育ちですから、冠婚葬祭にかけるお金の大きさはわかります。こんなにお金をかけていいのかなと思うくらい。でもそれが普通なんですよ。だからそういう価値観には違和感はないし、人間的だなって思います。
河瀨さん
私は「殯の森」(2007年)という映画を奈良の山間地で撮影したのですが、そこはまだ土葬だったんですよ。参り墓のほかに地域の共同の墓地があって、そこには亡骸を埋めるわけですが、順番があって、家族が一つのお墓に入るのではなくて、前に亡くなった違う家の人の上に埋められていく。
その土地で生きる人々は大きな家族みたいな……。
河瀨さん
村の葬式は3日間仕事を休まなければならず、いろいろな設いを用意して、墓掘りの人は埋葬のための穴を掘るわけですが、何十年か前の亡骸が出てくるんですね。メガネや杖が残っている。それを集めてまた別の場所に埋めてあげる。これはあの家のお爺ちゃん、みたいな感じでした。その方は「わしもこうやって埋めてもらいたい。今掘っているのは子どもの頃にお世話になった隣のお祖母ちゃんだから、こうして準備させてもらえるのはうれしい」って。
夫・妻
はぁ~。
河瀨さん
村で生きた人はみんな同じ場所に帰っていく。何か大きな安心感がありますよね。都市生活では失われた感覚だと思いますよ。

ダイアログ3

外の世界とつながる「家」

再び1階。それから大きなウッドデッキへ

河瀬さん
もともとは大阪で暮らしていたんですか?
はい。マンション生活でした。
河瀬さん
奈良はいろんな地域性がありますが、このあたりは大阪に近いんでしょうか。私は奈良市内ですが小さい頃は、大人は奈良弁でしゃべってました。でも今はほとんど使う人いないかも。
私は奈良市で20年暮らしましたが……。
河瀬さん
お祖母ちゃんの世代は今でも奈良弁で、最後が「みぃ~」になるんですよ。あと「……してはった」ではなく、奈良と三重は「……してらった」ですね。私も「らった」を使ってたので、学生時代に大阪で「らった、らった」って言ってたら「バケラッタのO次郎か」って言われましたけど。
夫・妻
あははははは。

河瀬さん
あ、ここから外に出られるのね。出てもいいですか。
どうぞ。
風が強いので洗濯物がお隣に飛ばされることもしばしば……。
河瀬さん
うわ~、ホントに大きな木ですね。ツリーハウスがつくれますね。ここからハシゴを渡して……。
ああ、できるかも。
河瀬さん
家パーティーもできそう。この大きな窓、外の世界も採り入れて暮らすことができますね。Kちゃん新しいお家いいね~。
長女
えへへ(照れる)
やっぱり開放感がありますよね。ここにガラスがあることが分からずに、たまに蜂が衝突することがあります。
河瀬さん
木を植えてもいいですね。
今はコンテナでいろんな木を育てて、何を植えたら良いか場所の相性を見てるところです。
河瀬さん
この桜との相性もありますからね。下に見える川の縁までこの家の敷地なんですか?
そうです。ただ斜面が急なので下まで降りるのは大変かな。
河瀬さん
階段つくって川まで降りられるようにすれば釣りもできますね。Kちゃんも探検できるかも。
ところで河瀬さんのお住まいはどんな感じなんですか。
河瀬さん
私もかつては集合住宅の暮らしでしたが、10年くらい前に昭和50年代に建てられた家を購入しました。養母代わりの祖母が去年亡くなったのですが、祖母のためにバリアフリーに改修してそこで暮らしています。庭にいろいろな木を植えて、祖母がいた和室をフローリングに替えて暖炉を入れて、そこがちょうどこの1階の大きな窓の部屋のように家族が集う場所になっています。
さきほどの質問をお返しするのですが、河瀬さんにとって「家」ってどんな存在なんでしょうか。
河瀬さん
どんなことがあっても、家は私が帰る場所なので安心の場であってほしいし、安らぎを大切にしたいと思う。でも、そのために室内の調度だけを美しく整えれば良いのではなくて、そこだけで完結するのではなく、外の世界ともつながっていたいという気持ちも一方にはあるんですよ。そこに帰れば安らぎはあるけれど、その場を介して時空を超えて外の世界ともつながっていく。そんな場所ですね。
なるほど。

家を建てて、そして子育てを通じて見つけたこと

河瀬さん
実は私、最近畑仕事を始めて、今年は稲作をやろうと、ゴールデンウィークに6家族くらいで畦づくりに出かけたんです。小さな子どもが8人くらい一緒でした。連休には家族でディズニーランドに行かなきゃいけないとか、まあ確かに子どもはそういう場所に行けばキャ~って興奮するけど、でも、田んぼでも子どもってキャ~って大騒ぎなんですよ。
夫・妻
あはははは。わかる、わかる。
河瀬さん
そこには土しかないけれど、穴を掘るだけで喜んでいたり、砂をさらさらにすることが嬉しかったり、私たちが40年くらい前、子どもだった頃の感覚を、今の子どもたちも普通に取り戻すことができるんです。そういう感覚は今の子どもたちも、もちろん持っているんですね。Iさん家族のシンプルな暮らしは、そんな感覚をより取り戻しやすいんじゃないかって思いました。
ぼくも田んぼの水路でよく遊びましたよ。
河瀬さん
子どもたちは長靴で魚を捕まえようとしたり、川の流れを遡って探検したり。危ないとか汚いとかじゃなくて、これからの子育て世代がそんな体験するのは意味があると思いますよ。
長女は去年、青空保育の森のようちえんに通っていたんです。遊具も何もない森の中で、週に2回、0歳から3歳くらいの幼児たちがお弁当持参で遊びまわって、おやつを食べて、絵本を読んでもらって解散するという…。子どもたちは自然のままの環境で、いろんな発見をしたり、体験したりできるんです。最近は全国的にも盛んになってきているようですが。子どものうちにそういう体験ができるのは大事だと思いました。おやつはお母さんが交替で用意しなければならないので、お菓子を手づくりするきっかけにもなりました。子どもには安全なモノを食べてほしいですからね。子どもが生まれてから、子どものために何かやろうという気持ちが強くなりました。
河瀬さん
今、奥さんは外で働いているんですか?
主婦をしてます。もし一人だったら、以前のように外で仕事をしたいと思ったかもしれない。
河瀬さん
今は何かをやろうと思えば、どこで暮らしていてもネットを通してなんでも揃えられますよね。自分の眼さえちゃんとしていれば、欲しいものが家まで届く。今はそういう豊かさはあるかな。家にいるのがつまらないから働きに出たいと思うのではなく、家の中にいても家事や子育てを通していろんな楽しみを見つけられそう。
主婦ってホントに楽しいですよ。
河瀬さん
今は女性の労働参加や社会参加がいろいろ論議されていて、私もそんな場に呼ばれることがありますが、やっぱり、家は大切で、誰かが家にいて、暮らしをキレイに丁寧に保つことで家族が元気でいられることが理想なんです。でも、女性はやらされている感じがあったり、男性は男性で家には無関心だったりする。それを自分で見つけられるのはいいな~と思いますね。子育てママのパワーって実はスゴイですよね。
そうですね~。
河瀬さん
今日はありがとうございました。若い夫婦の暮らしぶりに触れて清々しい気持ちになりました。
夫・妻
こちらこそありがとうございました。「ならシネマテーク」にもぜひ行ってみます。

※ならシネマテーク
河瀬直美さんがディレクターを務める「なら国際映画祭」が企画運営。
映画館のない奈良市内に誕生した移動型映画館。

エピローグ(編集後記)

サクラマド

今回ご紹介したIさんの「窓の家」に初めてお伺いしたのはまだ少し肌寒い今年の3月半ばのこと。
最寄駅から歩いてIさんのお宅を目指した私は、在原業平もその素晴らしさを詩にして詠んだ竜田川に沿って歩を進めました。しばらくすると川から一段高くなった見晴らしの良さそうな土地に「窓の家」がすっと端正に建っているのが見えます。
まさに「窓の家」を建てるためにふさわしい素晴らしいロケーション。なんて素敵な場所に建っているのだろうと建物に入る前からワクワクした気分になったことを今でも鮮明に覚えています。

そして、ミニマムな住まいに合わせて厳選された名作家具が置かれたリビングに入ると、窓の家のシンボルとも言えるリビングに設えた大きなFIXの窓越しにたくさんの蕾を付けた桜の樹が私を迎えてくれました。
これは、「桜の花が咲いたらこのリビングからはどんなに素敵な風景が広がるのだろうか。」と思わずにはいられません。

季節はこれから本格的な春を迎えようとしていましたので、これは何としてでも満開の桜を眺める「窓の家」の雰囲気を皆さんにお伝えしたい・・・。
しかし、河瀨直美さんと対談していただく取材日は桜が既に終わってしまうタイミングでした。そこで通常は対談と撮影を一日で終えるところを、今回はIさんにもご協力をいただき特別に桜の写真を別日程で撮影させていただきました。

そして、WEBで発表されている開花予想とにらめっこしながらピンポイントで設定した4月3日は運良く満開!
桜の薄いピンクが引き立つような春の花曇りの中撮影した写真はいかがだったでしょうか。
Iさんの「窓の家」にお花見に行った気分になっていただけたでしょうか。
また、今回のリーフレットとプロローグの写真では、同じアングルで桜と新緑の両方を撮影してその対比も楽しんでいただけるように試みました。
刻一刻と変わる自然の移ろいをリビングで楽しむことができるIさんが本当に羨ましいですね。

今回対談していただいた映画監督の河瀬さんもこの空間をとても気に入っていただいたらしく、Iさんの奥さま手作りのお菓子を食べながら映画や地元の話などを実に寛いだ雰囲気で聞くことができました。
河瀬さんが今年のカンヌ国際映画祭の審査員として選ばれたことは記憶に新しいと思いますが、この対談の翌日には渡欧されたということで、お忙しい中を縫っての貴重な対談となりました。

今回も「窓の家」らしさ200%のお宅でしたが、今度は秋の紅葉の頃、また訪れてみたいなぁと思ったのは私だけではないかもしれませんね。(E.K)

「無印良品の家」に寄せて | 映画監督 河瀨直美さん

幸せのカタチ

春。桜の季節を少し過ぎた若葉の芽吹き、夏にむけて緑が日ましに濃くなってゆく頃、奈良の西、竜田川のほとりにあるお宅へお邪魔した。閑静な住宅街の中にあるそのお家はまだ若く、「白」を基調にした全体的な雰囲気の中で、その「白」が益々印象深く入り込んできたのは、出迎えていただいた奥様の清潔な白のブラウスが目に飛び込んできたからかもしれない。その奥様をそっと見守るようにやさしそうな旦那様。そして小さな愛らしい瞳のお嬢ちゃん。お嬢ちゃんの洋服は奥様の手作りだとか。ああ、このお家には愛が溢れているな、と気持ちがやすらいでゆく。
リビングに通されてまず目に入ったのは大きな窓の向こうにどっしりと存在している桜の木。咄嗟に満開の桜に抱きしめられるように在るこのお家を想う。毎年かかさず咲き乱れる桜と共に、この家は成長し、そこで暮らす人々の歴史が刻まれてゆくのだなと思うととても豊かな気持ちになる。
台所の使い勝手、バックヤードとの関係性、階段を上り、寝室や将来子供部屋になるだろう空間にも足を運んでゆくと、彼らがこの家の成長をきちんと心に描きながらお家を創ったことに感動する。その創造力は、今の幸せとそれを育み続けてゆく約束から成り立っているのだ。それは、夫婦という他人がこの先の人生を共にするときの、固い約束と相まって、確かな絆となっていた。ああ、うらやましい、幸せのカタチ。

リビングに降りて、奥様お手製のお菓子とコーヒーをいただく。娘さんがそれをばくばくと美味しそうに口にする。すべて手作りの安心感の中で育まれる感性が愛おしい。家を創ったことで、専業主婦の楽しみを謳歌している奥様。その愛情いっぱいのお家に帰りつくことをやすらぎに感じている旦那様。すべての彼らを取り囲むものたちはきちんと自分の居場所をもっていて、使うたびにその居場所にきっちり収納され、無駄のない空間が完成されている。このお家にいるとそれらのものものがすべて呼吸をして、彼らとともに生きているような錯覚におちいる。それは奥様が毎日の暮らしの中で、すべてのものたちを慈しみの目で見守り、その手で触れながら、接しているからだろう。それこそが「愛着」と呼ぶにふさわしい人とモノの有り様だ。
新しいデザインの中にかつての日本人が営んでいた丁寧な暮らしが存在するお家。それぞれの窓から見える風景。沢山の宝物をいっぱいいただいた春。見送っていただいた若いご夫婦と小さな娘さん。彼らのいるあの家に、また愛にゆきたいと思う、春風の日。[2013.9]