vol.12 丘の家
「無印良品の家」で暮らしている方を訪ねて多摩丘陵の文教都市へ。
アーティストの鈴木康広さんが、眺めの良い「木の家」に会いに行きました。

施工例 | 2013.6.18

「無印良品の家」に寄せて | アーティスト 鈴木康広さん

記憶の中の家

小学生の頃から兄妹で縁側に学習机を並べていたので、自分の部屋をもつことが子供時代の憧れでした。スペースにまったく余裕がなく、でも諦めずに家具や物の置き方を工夫しました。戸を少しずらすことでうまれたほんの小さな隙間でも、活かし方で自分の居場所が広く感じられ、便利さを体で感じるのがうれしかったのです。

高校二年の時、家業の都合で家を建て替えることになり、自分の部屋をもらえるチャンスが。忙しなく計画は進み、取り壊しの当日は高校の行事で現場を見られませんでした。目にした時には、跡形もない更地でした。廃材となった家を一切見なかったことで、いつまでも現実味がなく、かつて自分が住んでいた家が世界のどこかにそのまま残っているような感覚を覚えました。柱の色、お風呂のタイルのパターン、戸が締まるときの音。床屋のように時々ハサミでカットした芝生、雨になると現れた地面の窪み。すべてが姿を消して、記憶の中のものになったのです。

当時の僕にとっての理想の部屋は、畳に対してフローリング、砂壁に対して白い壁、天井に吊された四角い照明よりもダウンライト。カーテンではなくブラインド。今思うと、もともと住んでいた家に溢れていた素材感をすべて削ぎ落すようなセレクト。中学時代に憧れていた部屋がにわかに実現したのです。完成し初めて室内に入った時、同じ場所に建てられたはずなのに、窓から眺めた見慣れた町が真新しく感じたことを憶えています。

それから数年後、幼少から過ごしてきた家が完全に建て替わったことに対して、当時はずいぶん油断していたことがわかってきました。物質としての家が失われたさみしさと表裏一体になって、記憶の中に「家」が生き続けていることを知ったのです。家を建て替えるということが、自分の過ごしてきた時間や記憶を特別なものにする。鮮烈な体験によって、人の心と体をリフレッシュするアートの体験に等しい出来事だったことに気づいたのです。

子供時代の環境で感じたことは、今取り組んでいるアートワークの基本になっています。はじめから自由で便利な部屋があったとしたら、創作する意欲や工夫する喜びはけっしてうまれなかったのではないか。楽しみや発見のうまれる「余地」を内包した、あたらしい家を生み出すにはどうしたらよいのか。仮に試すことのできないテーマだと思いました。今回の訪問をきっかけに、僕の中にイメージした理想の家は、形はあるようでなく、過去と未来をつなぐ、記憶を呼吸する「生き物」のような場所。ひきつづき考えていきたいと思っています。[2013.6]