vol.12 丘の家
「無印良品の家」で暮らしている方を訪ねて多摩丘陵の文教都市へ。
アーティストの鈴木康広さんが、眺めの良い「木の家」に会いに行きました。

施工例 | 2013.5.21

ダイアログ3

つくる家

家が何かを生み出している

鈴木さん
家を決める時は相当の覚悟が必要ですよね。ある意味、地球に根を下ろす感じじゃないですか。考え始めると決められなくなることでもある。ここに「建てよう」と決めるのはスゴイ瞬間だなと思います。初めてこの場所に立った瞬間をずっと大事にできるということなのかな。
そうですね。確かに考えすぎると決断できなくなるかもしれません。
鈴木さん
ぼくも34歳でそろそろ家づくりを考える年齢で、浜松には両親が暮らす実家があるし……。

私も田舎には家があるけど、会社勤務なのでここを離れることは難しい。会社員は会社との関係で暮らしを考えなければならないですから。でも鈴木さんは仕事の場と暮らしの場を一緒に考えることができますよね。自分の力で住む場所を決めることができる。私にとってはそれが本当の「家」なんですよ。
鈴木さん
仕事場と暮らしを分けて考えることが当たり前になっていますが、実際には不可分ですよね。それならば、通勤で歩く道は、その人にとっては長い廊下のようなもので、仕事場と家と通勤路を含めて透明な家なのかもしれない。ぼくの実家はスーパーなので家と仕事場は完全に一体化していましたけど。
私の実家も自営業で、同じ敷地内に家と仕事場がありました。親は勤務時間とか関係なしに家と仕事場を行き来していて、私も学校から帰ると父の仕事場で遊んでいた。住むことと働くことがひとつになっているのもあこがれですね。
鈴木さん
そうですね。自分の子ども時代のことは子どもの居場所中心で考えてしまうけれど、じゃあ親の居場所はどこなんだろうと考えると、働く場所がそこだったのかもしれません。Iさんは今は職場と家はどう捉えているんですか。
できるだけ切り離したいと考えているんですけどね。でも「仕事をする会社」と「仕事をしない家」とキッパリ分けるのではなく、家はただくつろぐだけの場所ではなくて、子どもと楽器を弾いたり絵を描いたり、仕事ではないけれど、何かをつくりだす感覚がある家が理想です。
鈴木さん
なるほど。
妻は食事をつくったり掃除したり、家の仕事は多いけれど、そういう意味では家の中の男の立場って微妙ですよね。だから、妻には遊びのように見えるかもしれないけど、パソコンで子どもの写真を編集したり、子どもとミニカーの写真を撮影したり、ここが休息だけの場ではなくて、何かをつくりだしながら暮らしている感覚は大事にしたいと思っています。この家が何かを生み出しているような感覚かな。
鈴木さん
仕切りのない家だから、子どもはいつも父親の趣味や何を考えているのかが見えていますよね。会社だけが父親の仕事じゃないことを、子どもに見てもらえるのは理想的だと思いますよ。
そうですか。実は私は鈴木さんのように、何かをつくりだす人に今でもあこがれている。家は人生の長さと同じ時間のスケールで付き合えるもので、ここで何かをつくり、生み出して、そこに家族の成長した証が残るのは喜びだなと思いますから。
鈴木さん
その「証」をどう残すかは永遠のテーマですね。「柱のキズ」は誰もが共有している分かりやすいイメージですが、自分なりに開発したいですよね。家は完成した状態をキープしたいという気持ちがあり、汚したくはないという人が多いけど、何かできそうじゃないですか。今日からでも……。

これからの家との関わりかた

古くなった住宅や間取りをスタイリッシュに変えて見せるテレビ番組は人気がありますよね。でも、人がそこで生活して年齢を重ね、古くなり、その時間や体験を養分にして社会に出ていく、そういうところってあまり注目されていない。この家はピカピカにするつもりはなくて、懐かしいと感じられるモノにしていきたいと思っています。
鈴木さん
新鮮さと懐かしさは相反するものと思われがちですが、大人になると懐かしさは古いモノではないことに気づくようになりますよね。
確かにそうですね。
鈴木さん
時間を戻すことはできないから、古くなることをどうポジティブに解釈できるか、その視点をどうつくるかはこれから大切になると思う。ぼくは大学の頃に自分で革靴をつくったことがあって、完成して履いてみたんですよ。その靴で電車に乗ると、他の人の足が自分の靴に当たることがあった。それは当たり前のことで普通は気にしないですよね。でもその時は、誰かの靴が当たっただけですごくショックでした。靴底もキレイに仕上げたので、町を歩くと、普段は靴をこんなに乱暴に扱っていたのかと初めて気づく。自分が丁寧につくるとモノが古くなることも、自分自身でよくわかります。一度みんなハンドメイドの経験をしたほうが良いと思います。
そう思いますね。家も本当は自分で建てて、壊れたら自分で直すというのが本道かもしれない。
鈴木さん
「自分の手では直せない」という意識が強い間は、製品はどんどん、いかに壊れないようにするかに目が向き、プロじゃないと修理できないような仕様になっていく。でも、多くの人の間で、自分で直したほうがいい、自分で直せるものがいいという気持ちが高まると、世の中の「モノ」は変わっていくと思います。例えば掃除も愛着を持つための行為だと思うんですよ。自分で手を動かして床拭きするだけで床への愛着が湧いてくる。掃除も家と関わる行為だとすると、その延長上に自分で壁を塗り直すとか、何かをつくるとか、いろいろな行為があると思うんですよ。そこを自分たちで開拓できると楽しいですよね。
これまでは、自分の手を煩わせることなくて、「なにもかもお任せ」が自由で、そこに価値を見いだしていたと思うけど、一方で自分が思っているものにはならないというあきらめや不自由さもありましたからね。人から見ると面倒なことでも、自分が家にもっと関わることができれば、もっと自由になるように思います。
鈴木さん
そういう声が増えて、みんなでそれを認め合えば、新しい家の捉え方も生まれると思います。今日のこの訪問は自分の家をどうしようか、考えるきっかけになりそうです。ありがとうございました。