アーティストの鈴木康広さんが、眺めの良い「木の家」に会いに行きました。
家に会いに | 2022.12.14
プロローグ
木のように地球で暮らす
木は移動できないから不自由に見えるけど、実際は地球の自転を利用し地球と一体化して四季を生きている。ふと、そんなふうに思ったことがあります。
人が木で建物を建てるようになると、大工は木の育った向きに材を活かし、木がそこに立っていたように建てたといいます。 それを知ってから、人と木それぞれに流れる時間、季節とのかかわり、そして人が木の建物に住むことを改めて考えるようになりました。
無印良品の「木の家」という名前を耳にしたとき、地球とともに体現する木のおおらかな生命のかたちに、人の暮らしが寄り添っていくイメージが湧きました。
地球上の唯一の場所で、家族と共に時を過ごし、光や風を感じながらその場所にしかない風景を発見していく。
日々のあたりまえの中にささやかな喜びが宿る「家」であり「木」ではないかと思ったのです。
ダイアログ1
だから、ここに建てました
鈴木康広さんが会いにいった家
小高い丘の上に佇む、シンプルなスモールハウス。
Iさんの理想の住まいづくりは、その「丘」を探すことから スタートします。駅からの緩やかな坂道を家族で歩き、 桜のつぼみの下を抜けると、突然眼下に広がる木々と甍(いらか)の波。
風が吹き抜ける多摩丘陵の高台は、理想の情景を用意して Iさん家族の家づくりを待っていたのです。
ここに昔デートで訪ねたモデルハウスの「木の家」を建てよう。
それまでは東京郊外の接続駅間近に建つ集合住宅での生活。
家づくりでは小さな長男の健やかな成長も考えました。
その長男は桜の季節に、丘の上の家から小学校に通い始めます。
夫婦で選んだ美しい日用品と、窓から見晴るかす丹沢の山並み。
床面積では計れない、大きな「木の家」が坂の上に佇んでいます。
「おじゃましま~す」
「どうぞどうぞ」
- 鈴木さん
- 自分が住む場所を決めることは、合理性だけでは語れないものがあると思う。土地を選んで家を建てるのは、ある意味、地球に根を下ろす感じじゃないですか。ここに「自分の家を建てよう」と決意するのはスゴイ瞬間だなと思います。きっと、初めてこの場所に立った瞬間をずっと大事にできるということなのかもしれない。今日のこの訪問は、自分の「家」を改めて考えるきっかけになるように思います。
2階の吹き抜けより
- 鈴木さん
- ああ、吹き抜けの天井はこんなに高かったんですね。窓からの見晴らしが良いのでさらに開放的に感じます。
- 夫
- 私にはこの吹き抜けの梁でリビングとダイニングに分けられているイメージがあるんですよね。「木の家」は部屋の仕切りや壁はないけれど「間」で部屋が隔てられているように感じるんです。部屋を壁で仕切るのは簡単ですが、間で感覚的に仕切るのは、空間同士もっと豊かな関係が生まれる可能性を感じています。
- 鈴木さん
- その感覚は日本の建築文化や身体感覚と結びついているような気がします。
- 夫
- そうですね。畳間で暮らしていた子ども時代、畳縁や敷居のラインに見えない仕切りを感じていましたからね。
友人を招くと「モダンな家だね」って言われるけど、私はむしろ、日本の住まいの良さを継承しているような意識があるんですよ。 - 鈴木さん
- 壁がないのに空間がちゃんと分けられていると感じられる。それはすごく興味深い話で、その家の空間の使い方や仕切り方は、子どもの空間感覚にも影響をあたえると思うんですよね。
そこにしかない風景を所有する
- 鈴木さん
- 設計者の知恵で建てられた住宅に、住んでる人が手を入れて、その良さをどう広げていくかも、持ち家ならではの楽しみですよね。子どもの頃は壁に絵を描くと怒られたけれど。
- 夫
- 昔の家は子どもの成長を記した柱のキズが残ってましたよね。
- 鈴木さん
- 柱に彫刻とかできるかも(笑)。それくらいやったほうが子どもの思い出に残りますよ。何かをつくることで家族や自分の人生と家が関わり始める。その素材として「木の家」はいいですよね~。ここが子ども部屋なのかな。うわ~ミニカーが大渋滞。
- 夫
- この家全体がおもちゃ箱みたいなものですけどね。ミニカーは私も小さい頃に集めていたから、子どもと遊ぶのは、自分の子ども時代の拡大再生産みたいな感覚がありますよ(笑)
- 鈴木さん
- そうですね。「子ども時代がもう一回キタ!」みたいな。
- 夫
- そうそう。昔の記憶が蘇って、子どもと遊ぶ口実で自分も遊んでいる。鈴木さんも一緒にいろいろつくったりするんですか。
- 鈴木さん
- 絵は一緒に描きますね。
子どもは塗り専門で、こんなに塗りつぶしてくれてありがとう、みたいな感じ(笑)。 - 夫
- いいな~。私はうまく描いてあげられないから。
- 鈴木さん
- 上手に描けなかったと思った時はもう一回描けばいいんです。必ず少し上手くなっていますし、同じものが違う絵になる。子ども時代の再生産とおっしゃってましたが、絵はそれにピッタリですよ。素晴らしい景色が目の前にあるから、季節ごとに一緒に窓からの風景を描くことおすすめします。
- 夫
- そうですか。今度はぜひ子どもと一緒に挑戦してみます(笑)。
- 鈴木さん
- もし、ここのための絵があるとしたら、この家で暮らす家族だけに許された喜びだと思います。Iさんは土地だけではなく風景も所有していて、画家なら絵を描き、写真家なら写真を撮るけれど、本当は楽しみ方はもっといろいろある。そう考えると家って、地球上のその場所の出来事を、家族で記憶することでもあるのかなって思います。
ダイアログ2
第一条件は立地
先ずはサプライズから
- 鈴木さん
- 今日は風が強いのかな。風が吹き抜ける音が聞こえますね。
- 夫
- この街はいつも風が吹いていて、地元の作家が地域のために描いた風の絵本があるくらいですからね。
- 鈴木さん
- この風の音はぼくには懐かしい音なんです。育ったのは浜松なので、秋から春まで遠州のからっ風が吹いていて、家の中ではいつもこの風の音がしていたんですよ。懐かしいなぁ。
- 妻
- 窓を少し開けると、開き加減でぴゅ~ぴゅ~笛のような音が鳴りますよね。その音で子どもも遊んでます。
- 鈴木さん
- いいですね、それ……。って大人がこっちで子どもの話してるのに、彼はDVDに夢中ですよ。何を観てるの?
- 長男
(6歳) - 007 「カジノ・ロワイヤル。」
- 鈴木さん
- おー、大人だな。
- 夫
- 映画館でも一緒に観たんだよね。
- 長男
- ……(集中)。
- 鈴木さん
- え、えーと、今日は「木の家」を訪ねるということでサプライズのお土産があります。ぼくは名前が鈴木なので半分くらい木かなと自分のこと思ってて……。
- 夫・妻
- 半分くらい木って……(笑)
- 鈴木さん
- で、最近ますますそう思うようになっていて。これ「木のコマ」なんですが……。
- 夫・妻
- あ……。
- 鈴木さん
- ?
- 夫
- 実はこのコマ、持ってるんですよ。
- 鈴木さん
- え。
- 夫
- 持ってます。
- 鈴木さん
- え。
- 夫
- 鈴木さんの作品とは知らずにネットで見て買っていたんですよ。
- 鈴木さん
- ひ~、びっくりしました。こっちがサプライズ(笑)
- 夫
- 作家本人からいただけるのはスゴくうれしいです。ありがとうございます。
- 鈴木さん
- これ、回すと逆さに立って、葉が茂った木のように見える三個セットの逆立ちゴマで、コマ一個は「木」で、二つで「林」、三つで「森」なんです。
- 夫・妻
- なるほど。
- 鈴木さん
- 2セットだとモリモリになっちゃいますね。
- 夫・妻
- モリモリ(笑)
- 鈴木さん
- 一人で一個ずつ回しながら、3本同時に「木」を立てるのは難しいんですよ。上手に三つ回せても油断するとすぐに止まってしまう。「森」を維持するにはコマを回し続けなければならない。ぼくたちの時間感覚で捉えると木は動かずに立っているだけのように見えますが、地球の時間のスケールで見ると、木の一生はこのコマが回転して止まる束の間のこと。回し続けないと森は維持できないんです。
- 夫・妻
- なるほどね。そういう意味があったんだ。
- 鈴木さん
- まあ、今言ったことは後付なんですけどね。ふふふ……。
- 夫・妻
- ええええええええ、そんな……。
- 鈴木さん
- 後付なのに最初からそう考えていたように、何かきっかけが掴めると、いろんな物事が地球の仕組みとつながっていくんですよ。コマって昔からの遊びの道具ですが、それはぼくたちが理解できる範囲のさまざまな意味につながっていく。コマってスゴイね~。
- 夫
- やっぱり深いじゃないですか。
- 鈴木さん
- この木のコマの延長に「木の家」もあるのかな。
- 夫・妻
- おお、なんだかそんな気がしてきました。
- 鈴木さん
- ここはいわば丘の頂上ですよね。最寄り駅から坂道を10分くらい歩いて、これだけの丘の上まで辿り着けるのは新鮮でした。これ以上、坂道が長いと疲れちゃうし絶妙な距離感です。
- 夫
- そうそう。ああ、帰ってきたな~というくらいの道程ですね。家を建てるときは誰もが夢を描くと思うんですよ。私は「大草原の小さな家」のような、何もしばられるものがない自由に建っている家を目指していたんですね。大草原じゃないけれどそんな家は建てられたかな。
- 妻
- 近所を散歩している方からも「ここは眺めがいいでしょう」って声をかけられます。
この土地に出会ったときのこと
- 鈴木さん
- 最初にこの敷地に来たのはどんな日だったんですか。
- 夫
- ちょうど、よく晴れた日でやっぱり風が吹いていました。
- 鈴木さん
- 季節はいつ頃でしたか。
- 夫
- う~ん、今頃かな。土地を探してこのへんを歩いていたんですよ。起伏がある土地なので自分がどこを歩いていのかわからなくなって、迷い込んだような感じでしたね。
- 妻
- 販売前の宅地がこのへんにあるという漠然とした情報があって、家族で探索に来たんですよね。たぶんこのへんじゃないかな~と。
- 夫
- もともとは大きなお屋敷があった土地で、それが三つに分筆されて更地になっていたんです。ここに決める前にいくつか見ていた土地があるんですが、いずれも日当たりと景色が良くて、公園が近くにあることを条件に探していたんですよね。
- 鈴木さん
- なるほど。
- 夫
- 実は新婚旅行でスイスに行ったときに、レマン湖のほとりのル・コルビュジエの「小さな家」に、旅の途中でたまたまたどり着いて、そこで建築家志望の若者とたまたまお会いしまして……。
- 鈴木さん
- ぼくもル・コルビュジエのサヴォア邸を探してさまよったことありました。
- 夫
- ええ、その方はサヴォア邸も訪ねていて、感想を尋ねると「いや~建物もいいけど、どこも良い場所を選んで建ててるんですよね~」と。ああ、家は建物だけじゃなくて立地も大きなポイントなんだなと、そのときに思ったんですよ。だから「こんな家を建てたいな」というより「どういうところに建てたいか」が大切でした。
- 鈴木さん
- なるほど。いろいろあって、ここにたどり着いたわけですね。ところで最初にこの敷地を見たのは何時頃でしたか。なんだか細かくてすみません(笑)。
- 夫
- いえいえ。たしか昼過ぎだったと思います。
- 妻
- 長男が一段下の敷地のほうで石ころで遊んでいました。晴天で暖かくて。
- 夫
- あとはこの土地一面に日が当たっていて日陰がなかったんです。土地の形もほぼ真四角で、ここなら「大草原の小さな家」が建てられるかも、ってそのときに思ったんですよ。
- 鈴木さん
- ホントに丘の上にいる感じですよね。玄関を入ると窓の外に普段とは違う風景が広がって、稜線にぐるりと囲まれて眼下にぽっかりと大きな器がハマっている感じです。見下ろすだけの視点じゃない。
- 夫
- 玄関を開けると景色がパッと広がることは狙いましたね。普通は玄関ホールでワンクッションあると思うんですが。
- 妻
- 渡辺篤史さんなら「いやいやいや、ヌケがいいですね~」ってコメントするところかもね。
- 鈴木さん
- ひょっとして、ぼくもそういうリアクション求められてました?(笑)
- 夫・妻
- あははははは。
ダイアログ3
つくる家
家が何かを生み出している
- 鈴木さん
- 家を決める時は相当の覚悟が必要ですよね。ある意味、地球に根を下ろす感じじゃないですか。考え始めると決められなくなることでもある。ここに「建てよう」と決めるのはスゴイ瞬間だなと思います。初めてこの場所に立った瞬間をずっと大事にできるということなのかな。
- 夫
- そうですね。確かに考えすぎると決断できなくなるかもしれません。
- 鈴木さん
- ぼくも34歳でそろそろ家づくりを考える年齢で、浜松には両親が暮らす実家があるし……。
- 夫
- 私も田舎には家があるけど、会社勤務なのでここを離れることは難しい。会社員は会社との関係で暮らしを考えなければならないですから。でも鈴木さんは仕事の場と暮らしの場を一緒に考えることができますよね。自分の力で住む場所を決めることができる。私にとってはそれが本当の「家」なんですよ。
- 鈴木さん
- 仕事場と暮らしを分けて考えることが当たり前になっていますが、実際には不可分ですよね。それならば、通勤で歩く道は、その人にとっては長い廊下のようなもので、仕事場と家と通勤路を含めて透明な家なのかもしれない。ぼくの実家はスーパーなので家と仕事場は完全に一体化していましたけど。
- 夫
- 私の実家も自営業で、同じ敷地内に家と仕事場がありました。親は勤務時間とか関係なしに家と仕事場を行き来していて、私も学校から帰ると父の仕事場で遊んでいた。住むことと働くことがひとつになっているのもあこがれですね。
- 鈴木さん
- そうですね。自分の子ども時代のことは子どもの居場所中心で考えてしまうけれど、じゃあ親の居場所はどこなんだろうと考えると、働く場所がそこだったのかもしれません。Iさんは今は職場と家はどう捉えているんですか。
- 夫
- できるだけ切り離したいと考えているんですけどね。でも「仕事をする会社」と「仕事をしない家」とキッパリ分けるのではなく、家はただくつろぐだけの場所ではなくて、子どもと楽器を弾いたり絵を描いたり、仕事ではないけれど、何かをつくりだす感覚がある家が理想です。
- 鈴木さん
- なるほど。
- 夫
- 妻は食事をつくったり掃除したり、家の仕事は多いけれど、そういう意味では家の中の男の立場って微妙ですよね。だから、妻には遊びのように見えるかもしれないけど、パソコンで子どもの写真を編集したり、子どもとミニカーの写真を撮影したり、ここが休息だけの場ではなくて、何かをつくりだしながら暮らしている感覚は大事にしたいと思っています。この家が何かを生み出しているような感覚かな。
- 鈴木さん
- 仕切りのない家だから、子どもはいつも父親の趣味や何を考えているのかが見えていますよね。会社だけが父親の仕事じゃないことを、子どもに見てもらえるのは理想的だと思いますよ。
- 夫
- そうですか。実は私は鈴木さんのように、何かをつくりだす人に今でもあこがれている。家は人生の長さと同じ時間のスケールで付き合えるもので、ここで何かをつくり、生み出して、そこに家族の成長した証が残るのは喜びだなと思いますから。
- 鈴木さん
- その「証」をどう残すかは永遠のテーマですね。「柱のキズ」は誰もが共有している分かりやすいイメージですが、自分なりに開発したいですよね。家は完成した状態をキープしたいという気持ちがあり、汚したくはないという人が多いけど、何かできそうじゃないですか。今日からでも……。
これからの家との関わりかた
- 夫
- 古くなった住宅や間取りをスタイリッシュに変えて見せるテレビ番組は人気がありますよね。でも、人がそこで生活して年齢を重ね、古くなり、その時間や体験を養分にして社会に出ていく、そういうところってあまり注目されていない。この家はピカピカにするつもりはなくて、懐かしいと感じられるモノにしていきたいと思っています。
- 鈴木さん
- 新鮮さと懐かしさは相反するものと思われがちですが、大人になると懐かしさは古いモノではないことに気づくようになりますよね。
- 夫
- 確かにそうですね。
- 鈴木さん
- 時間を戻すことはできないから、古くなることをどうポジティブに解釈できるか、その視点をどうつくるかはこれから大切になると思う。ぼくは大学の頃に自分で革靴をつくったことがあって、完成して履いてみたんですよ。その靴で電車に乗ると、他の人の足が自分の靴に当たることがあった。それは当たり前のことで普通は気にしないですよね。でもその時は、誰かの靴が当たっただけですごくショックでした。靴底もキレイに仕上げたので、町を歩くと、普段は靴をこんなに乱暴に扱っていたのかと初めて気づく。自分が丁寧につくるとモノが古くなることも、自分自身でよくわかります。一度みんなハンドメイドの経験をしたほうが良いと思います。
- 夫
- そう思いますね。家も本当は自分で建てて、壊れたら自分で直すというのが本道かもしれない。
- 鈴木さん
- 「自分の手では直せない」という意識が強い間は、製品はどんどん、いかに壊れないようにするかに目が向き、プロじゃないと修理できないような仕様になっていく。でも、多くの人の間で、自分で直したほうがいい、自分で直せるものがいいという気持ちが高まると、世の中の「モノ」は変わっていくと思います。例えば掃除も愛着を持つための行為だと思うんですよ。自分で手を動かして床拭きするだけで床への愛着が湧いてくる。掃除も家と関わる行為だとすると、その延長上に自分で壁を塗り直すとか、何かをつくるとか、いろいろな行為があると思うんですよ。そこを自分たちで開拓できると楽しいですよね。
- 夫
- これまでは、自分の手を煩わせることなくて、「なにもかもお任せ」が自由で、そこに価値を見いだしていたと思うけど、一方で自分が思っているものにはならないというあきらめや不自由さもありましたからね。人から見ると面倒なことでも、自分が家にもっと関わることができれば、もっと自由になるように思います。
- 鈴木さん
- そういう声が増えて、みんなでそれを認め合えば、新しい家の捉え方も生まれると思います。今日のこの訪問は自分の家をどうしようか、考えるきっかけになりそうです。ありがとうございました。
エピローグ(編集後記)
どういうところに建てたいか
取材当日は風が強く、東京で「煙霧
午前中は南面に設けられた吹き抜けと大きな開口部から、斜面に張り付くように立ち並ぶ家々が、そして遠くには丹沢山や大山を望むことができましたが、午後から様子が一変。砂嵐にうす黄色くかすむ風景はちょっと幻想的であり、こうした自然現象をパノラミックに感じることができるIさんの「木の家」をうらやましく思ったのは私だけではないと思います。
土地の立地条件とそこに建てる家の設計は不可分であることはいうまでもありませんが、今回のIさんのケースは正に運命的な土地との出会いがこの地に「木の家」を導いてくれたのではないかと思います。
「木の家」の気持ちよさを最大限に生かす立地。Iさんが「どういうところに建てたいか。」ということを非常に大事にされていたことがよくわかりますね。
今回対談していただいた鈴木さんも、吹き抜けに面した手すりに寄りかかり、広がる景色を眺めながらご自身の家づくりについて思い描いていたように見えました。
さて、取材も終盤に差し掛かった頃、鈴木さんはおもむろに床に広がっていたレゴブロックをIさんのお子さんと一緒につくり始めます。
「レゴブロックってパーツが決まっているけど出来上がる形は無限に広がって面白いですね。」としばらくごそごそとして出来上がったものが下の写真。なんだかわかりますよね。左は当日鈴木さんが着ていたボーダーシャツ、右は、そうです、歯ブラシ。しかも三色ストライプの歯磨き粉まで付いています(笑)。
こんな和やかな雰囲気で進んだ今回の対談。鈴木さんの自由な発想から生まれる住まい観と「木の家」を選んだIさんの感性がどこかでつながっていて、「この号だけで一冊本ができそう」(ライターさん談)というぐらいお話が盛り上がったことを付記しておきます。(E.K)
「無印良品の家」に寄せて | アーティスト 鈴木康広さん
記憶の中の家
小学生の頃から兄妹で縁側に学習机を並べていたので、自分の部屋をもつことが子供時代の憧れでした。スペースにまったく余裕がなく、でも諦めずに家具や物の置き方を工夫しました。戸を少しずらすことでうまれたほんの小さな隙間でも、活かし方で自分の居場所が広く感じられ、便利さを体で感じるのがうれしかったのです。
高校二年の時、家業の都合で家を建て替えることになり、自分の部屋をもらえるチャンスが。忙しなく計画は進み、取り壊しの当日は高校の行事で現場を見られませんでした。目にした時には、跡形もない更地でした。廃材となった家を一切見なかったことで、いつまでも現実味がなく、かつて自分が住んでいた家が世界のどこかにそのまま残っているような感覚を覚えました。柱の色、お風呂のタイルのパターン、戸が締まるときの音。床屋のように時々ハサミでカットした芝生、雨になると現れた地面の窪み。すべてが姿を消して、記憶の中のものになったのです。
当時の僕にとっての理想の部屋は、畳に対してフローリング、砂壁に対して白い壁、天井に吊された四角い照明よりもダウンライト。カーテンではなくブラインド。今思うと、もともと住んでいた家に溢れていた素材感をすべて削ぎ落すようなセレクト。中学時代に憧れていた部屋がにわかに実現したのです。完成し初めて室内に入った時、同じ場所に建てられたはずなのに、窓から眺めた見慣れた町が真新しく感じたことを憶えています。
それから数年後、幼少から過ごしてきた家が完全に建て替わったことに対して、当時はずいぶん油断していたことがわかってきました。物質としての家が失われたさみしさと表裏一体になって、記憶の中に「家」が生き続けていることを知ったのです。家を建て替えるということが、自分の過ごしてきた時間や記憶を特別なものにする。鮮烈な体験によって、人の心と体をリフレッシュするアートの体験に等しい出来事だったことに気づいたのです。
子供時代の環境で感じたことは、今取り組んでいるアートワークの基本になっています。はじめから自由で便利な部屋があったとしたら、創作する意欲や工夫する喜びはけっしてうまれなかったのではないか。楽しみや発見のうまれる「余地」を内包した、あたらしい家を生み出すにはどうしたらよいのか。仮に試すことのできないテーマだと思いました。今回の訪問をきっかけに、僕の中にイメージした理想の家は、形はあるようでなく、過去と未来をつなぐ、記憶を呼吸する「生き物」のような場所。ひきつづき考えていきたいと思っています。[2013.6]