「無印良品の家」に寄せて | 建築家 長谷川豪さん

すぐそこにある当たり前の世界との関わり

無印良品の家を見せてもらった。余計なことをしない、とてもシンプルな2階建てであることに僕は好感をもった。
2階建ては凄い。ここではそのことについて書こうと思う。

僕は東京郊外、埼玉県浦和市(現在はさいたま市)のとある住宅地に生まれ育った。40年前くらいに造成してつくられた、緑がとても多い住宅地だ。
僕の実家は、地元の大工が建てた、ごく普通の木造2階建ての家である。まわりの家も、だいたい同じような家だった。1階は居間と台所と風呂、2階には3つの寝室。1階の居間は庭と繋がっていて広く感じた。2階の寝室は小さかったけどいつも明るくて風通しが良かった。友だちに自慢できるようなところも特にない、安普請でどうってことのない家だったが、この2階建ての家の経験が、いま自分が建築を設計するときに拠り所の一つになっている気がする。

当たり前だが、2階建ては家を1階と2階の二つに分ける。この分け方というのはよく考えると、かなり決定的だ。壁を立てて部屋を二つに分けるよりも、床を入れて階を二つに分けるほうが、遥かに大きな差異を家のなかにつくりだす。なぜか?
それは、家が地面の上に建つからだろう。地面は遥か彼方まで繋がっている。その地続きの延長上に1階は位置づけられることになる。そしてまた、家が空の下に建つからだろう。空はどこまでも高く開かれている。空中に、2階は放たれる。このように2階建ての各階は、「地続き」や「空中」と形容されるほどに、外側の世界との関わりから強く性格づけられ、家のなかに豊かな対比が生まれるわけだ。いま「豊かな対比」といったのは、ただの対比ではなく、人間がどうやって過ごすかをそれぞれ想像したくなる空間の対比であるということだ。(たとえば無重力で地面も空もない宇宙ステーションを2階建てにしたところで、このような対比は生まれ得ないだろう) いや、そんなふうに理屈っぽく言わなくても、庭と繋がっていて広く感じるとか、いつも明るくて風通しが良いとか、そういうどうってことない経験を、すぐそこにある当たり前の世界との関わりを、2階建ては実現する。鮮やかに、愚直に。

2階建てに限ったことではないが、このように建築を通して世界との関わりを改めて噛み締めてみることを、僕は大事にしたいと思っている。なにを今さら大袈裟に、と言うかもしれない。でもここで書いたようなすぐそこにある当たり前の世界との関わりを失ってしまった空間が、いま、どんなに多いことか。

いま2階建ての凄さに驚いてみるのは、悪くないと思う。[2012.6]