vol.3 季節を眺める家
「無印良品の家」で暮らす人を訪ねる長野への小旅行。
フードジャーナリスト、エッセイストの平松洋子さんが
イタリア料理店「トラットリア パパオルソ」シェフKさんの
「窓の家」に会いに行きました。

施工例 | 2010.8.31

「無印良品の家」に寄せて | フードジャーナリスト、エッセイスト 平松洋子さん

その家は、すこやかな呼吸をしていた

誰かの家をはじめて訪ねるときほど、こころ弾むことはない。しかも、それが千曲川と森にはさまれた丘に建つ「窓の家」と聞いて、列車の座席に座っているうちから、気がはやった。家と自然との結びつきを直感して、はやく窓のまえに立ってみたかったのである。

ところが、わたしは窓のすばらしさ以上の幸福感を味わうことになった。もちろん、居間の一方を大胆に切り取って自然を内部に取りこむ窓の存在感はすばらしかった。たっぷりと光が注ぎこみ、日の移り変わりがドラマティックに変化する窓は、まるで自然を取りこむ美術装置のようでもあり、見惚れた。しかし、それ以上に感じ入ったのは、住むひとがしんからこの窓に惚れこみ、この家に住むことじたいを人生のおおきな喜びとして受け取っている姿だった。

家は、不思議なもので、呼吸しているかどうかすぐわかる。ただ新しいとか、みょうに洒落ているとか、そういう表向きの様子とはあまり関係がない。すこやかな呼吸をつづけている家というのは、住むひとの暮らしにやわらかに寄り添うてくる家のこと。春には春の、夏には夏の、秋には秋の、冬枯れた季節にも、おりふしにふさわしい息遣いを持っている。上田の「窓の家」には、そのやわらかな気配がたっぷりとあった。

「この家に暮らしはじめて、家中心の時間を過ごすようになりました。それまでは朝はやく出かけて夜遅く帰る毎日でしたが、忙しさはおなじなのに、家がすっかり生活を変えてくれました」

なんてすてきな言葉だろう。この柔軟な感覚こそ、自分の暮らしのなかにとびきり大きな窓を求めたひとの精神のありようにちがいなかった。

そのうえ、窓は、ひとつではない。キッチンの脇、階段の途中、さまざまな場所にひょっこりと、小さな窓があらわれる。個性もいろいろだ。空を見る窓、夜景を見る窓、浅間山の稜線を見る窓。すべての窓は、自然の出入りぐちでもあった。

「この家に暮らしていると、一日中でも窓を眺めていられます」

自分の家を語る言葉のすみずみに、酸素が行き渡っている。

はるばる上田に来てよかった。招いてもらって、ほんとうによかった。窓の外に広がる田んぼの稲穂を眺めながら、この「窓の家」のことをわたしはずっと忘れないだろうと思った。[2010.8]