フードジャーナリスト、エッセイストの平松洋子さんが
イタリア料理店「トラットリア パパオルソ」シェフKさんの
「窓の家」に会いに行きました。
家に会いに | 2022.1.14
プロローグ
窓は、自然への入りぐち
視界がぱあっと開けて、緑の光が束になって家のなかに流れこんできた。二階へつづく階段をとんとん上がったすぐ目のまえ。木立の碧を、水を湛えた青田を、積雲の白を、一枚のおおきな窓がぜんぶを光に包みこんで取りこみ、家のなかへ惜しげもなく招き入れている。なんという贅沢。はじめて訪れた家の居間で、迂闊にもわたしは声をなくしてしまい、挨拶もそこそこに立ち尽くして見惚れた。
家のなかの窓でありながら、それは、外に向かって開かれた入りぐちなのだった。ただ家のなかで暮らしているだけで、意のままに自然がやってきて、戯れてゆく。四季が移ろって朽野となれば、この窓から森閑がひろがるのだ。キッチンに立たせてもらい、居間越しに「自然への入りぐち」を眺めながら、つよく思った。窓は、自然とともに暮らすためのみごとな装置でもある、と。
二時間ほど過ぎたとき、とつぜん雷雨に見舞われた。これは窓の贈りものだろうか。ついさっきまでの溢れんばかりの光は失せ、銀竹のような雨飛沫。その現代美術を思わせる圧倒的な風景を目前にして、いつまでも飽きなかった。
ダイアログ1
だから、ここに建てました
平松洋子さんが会いにいった家
長野県上田市の千曲川と森に挟まれた小高い造成地で、緑豊かな木立と水田が広がる景色に出合ったKさんは、「ここに理想の家を建てよう」と決心しました。この美しい風景を一枚の絵のように四角く切り取って、2階のキッチンから刻々と変化する光景を眺めていたい。ゲストを自分の料理とワインでおもてなしすることが大好きなKさんにとって、キッチンは特別な場所なのです。
何もない敷地に立ち、どこにどんな窓を開けるかを考えることからKさんの家づくりはスタートしました。季節と日の移ろいをキッチンから楽しむ窓のほかにも、空を見る窓、浅間山の稜線を眺める窓、夜の街の灯を映す窓……と、どの窓にもKさんの美意識が息づいています。
「ようこそいらっしゃいました」
「こんにちは。おじゃまします」
- 平松さん
- 芝生の庭に一本だけ植えられたシュガーメイプルの樹。その葉の柔らかな緑が、深緑の信州の森を背景にくっきりと浮かび上がります。住まいは完成から約1年半が過ぎたところ。建て主のKさんは、この家づくりで何を実現させようとしたのでしょう。
キッチンから景色を眺めながら
- 平松さん
- キッチンから眺める風景の遠近感がいいですね。いちばん手前に庭のメイプルがあって、その向こうに水田が広がり、斜めに横切る坂道の背後には緑濃い木立がある。本当に贅沢ですね。
- Kさん
- 田植えが終わり早苗が育ってくると水田は緑の絨毯のようですよ。
- 平松さん
- それが秋になると稲穂が金色になるんですね。
- Kさん
- ええ。メイプルも紅葉しますしね。秋もキレイですよ。
- 平松さん
- この家を建ててから、お家にいる時間が増えました?
- Kさん
- 私は料理人なので休日は研究のために食べ歩くことが多かったのですが、今はできるだけここにいたいと思うようになりました。ここで自分で料理をつくっているほうが楽しいですから。
- 平松さん
- ご自分の生活スタイルのリズムも……。
- Kさん
- 変わりました。今は家中心の生活です。とにかくこの景色を楽しみながら料理ができるのは最高ですよ。
- 平松さん
- この眺め、夜はどんな感じなんですか?
- Kさん
- 真っ暗になりますよ。
夜はキッチンの足元に配した間接照明だけ点けて、天井の灯りを小さくして夜空の星を眺めるのもいい。もし「窓の家」がなかったら、私は家は建てていなかったでしょうね。この家と出合えて本当に良かったです。
10センチの余裕が生む豊かさ
- 平松さん
- キッチンはとても動きやすそう。
- Kさん
- 「窓の家」に決めたもう一つの理由はこのキッチンでした。
料理をしている時はキッチンカウンター後ろの引き戸を開けると食器や器具に手がすぐに届き、片付け終わって閉めると真っ白な壁になる。よく考えられているなという印象です。 - 平松さん
- 引き戸を開けた時、目の前にいきなり棚が現れるのではなく、戸と棚の間に足を半歩踏み込めるくらいの余裕がありますよね。
- Kさん
- この余白があるかないかで雰囲気は大きく変わるでしょうね。
- 平松さん
- たった半歩ですがぜんぜん違うでしょうね。日本の住宅は居住空間をできるだけ広く取ろうとして、キッチンや洗面室などの空間は狭くてもガマンする傾向にあると思うんです。でもそうした場所が狭苦しいと、居間は広いのにゆったりした気持ちになれないですよね。この収納の余裕、わずか10センチほどですが、これがあるかないかは大きな違いになると思いますよ。
- Kさん
- 「窓の家」のモデルハウスのキッチンに立った第一印象は「カッコいいな」という感じでしたが、でも、使い勝手が良さそうな感覚は確かにありましたね。
- 平松さん
- そういう感覚って日々のお仕事の中で体に染み込んでいるんでしょうね。収納の棚の奥行が小さめなのも良いと思います。奥まで簡単に手が届くし後ろにしまったものも取り出しやすいですから。頭で寸法を考えるのではなく、感覚的によく分かっている方が設計しているんだろうなと思いました。
ダイニングの椅子に座ってみてもいいですか。 - Kさん
- もちろんです。どうぞ、どうぞ。
- 平松さん
- わあ!椅子に座ると窓から見える景色が変わるんですね。
雲が少し出てきましたが、雨が降る風景も良さそうですね。 - Kさん
- いいですよ。雪が降る空もキレイです。
雲で空の表情もどんどん変わりますから、空を眺めているだけで飽きないですよ。 - 平松さん
- いつまででもいられる場所があることは大事だと思います。本を読んでいなくても、音楽がなくても、何もなくてもただそこにいるだけで自分が充足できる場所。そういう場所が家の中にあることって大切ですよね。私にとってもそれはわが家の窓のそばなんですよね。やっぱり。
- Kさん
- あ、そんな話をしていたらホントに雨が降ってきましたね。
- 平松さん
- 雨の景色も見てみたいって言ったからかしら(笑)。
ダイアログ2
この街に根をおろして
建て主の想いと設計者の考え方が……
- Kさん
- (1階をご案内中です)眺めの良い2階をメインの生活空間にして、1階はゲストルームとお風呂、洗面、それから書庫とワイン庫です。
- 平松さん
- ゲストルームは2部屋もあるんですか!
- Kさん
- ワイン好きの友人を招いた時、ワインを飲んでそのまま泊まっていけるように考えていたので。それも家を建てた理由の一つでしたから。人をもてなすのが大好きなんですよ。書庫を設けたのは部屋のモノを整理してスッキリさせるためです。
- 平松さん
- なるほど。
- Kさん
- お店(イタリア料理店)のほうはトスカーナの田舎の家をイメージして、アンティークを使い、密度の濃い空間になっているので、自分の家はスッキリ、シンプルにしたいと思っていたんです。本当は建築家に相談して、対話しながら家づくりができれば理想だったのですが、なかなか時間を割けないですし、それに建築家との相性もありますよね。自分の好みをちゃんと理解してくれるかどうか。
- 平松さん
- 家ができてから「やっぱり理解されていなかったのか」って、怖いですよね(笑)。だから最低3回建てないと理想の住まいを手に入れられないとか、よく言われています。
- Kさん
- そうですね~。でも現実にはお金が続かないですよね(笑)。
- 平松さん
- そういう意味では工業化住宅でも「窓の家」のようにコンセプトが明快なら、建築家2回分の「下積み」をスキップできる可能性はありますね。
- Kさん
- 確かにそうでしたね、私の場合は。
ここで暮そうと考えたそのわけは……
- 平松さん
- 毎日、お仕事には何時頃に家を出られるんですか。
- Kさん
- 朝の8時頃にクルマで出かけて帰宅は11時くらいでしょうか。好きな仕事なので苦にならないんですよ。以前は家は寝に帰るだけでいいやってずっと思っていた。それよりもお店を大きくしたい想いが強かったですね。私はもともと京都の生まれで、こちらはたまたまお店の場所を見つけたという町でした。だから将来は蓼科か軽井沢辺りで一軒家のレストランを造りたい夢もあったのですが、今のお店を気に入ってくださるお客さまが増えて、人のつながりができるとこのままでいいんじゃないかという気持ちが芽生えて……。
- 平松さん
- その気持ちを確かなものにするために……。
- Kさん
- ええ。この街に根をおろして生涯過ごそうということでしょうかね。
- 平松さん
- 自分の中で拠点としての確信がもてたんですね。そうした確信は、家を建てるとか、家との出合いとも深く関わってきますよね。
- Kさん
- そうですね。あとはタイミングでしょうか。良いタイミングで「窓の家」と出合えたので。
- 平松さん
- そのタイミングも偶然とかではなくて、無意識のうちにご自分でそれをすごく求めてらしたから出会えたのではないでしょうか。
- Kさん
- そうかもしれないですね。
ダイアログ3
記憶の中の風景と『窓の家』
家の裏手には小さな菜園もあります
- 平松さん
- 家の裏には小さな畑があるんですね。
- Kさん
- 少しでも自分が育てた野菜をお店で出したいなと思っていたので。ここに植えたのはハーブと葉野菜、あとはトマトですね。
- 平松さん
- 畑の土はどうされたんですか。
- Kさん
- ここは山を切り開いた土地なので粘土質で畑には適さないので、穴を掘って客土しました。
- 平松さん
- 畑のまわりに白い玉砂利を敷き詰めているのは雑草が生えないように?
- Kさん
- ええ。あと雨が降ると粘土が靴に着くので歩きやすいように。
- 平松さん
- それはひとつのアイデアですね。
- Kさん
- 白い石なら見た目もキレイですから。
思い出のトスカーナ
- 平松さん
- ところで、Kさんが料理人になろうと思ったきっかけは何だったのでしょうか。
- Kさん
- 子どもの頃から職人に憧れていたんですよ。父は建築設計事務所を主宰していたので、小さい頃から現場に行って大工さんの仕事を見ていました。自分の手を使う仕事に就きたくて、それで調理師学校に行きたいと親に話したら、それより大学へ進め……と。
大学を卒業すると料理人の修行を始めるには遅すぎで、普通の企業に就職したんですが会社勤めはつまらなくて。もともとイタリアが大好きだったので30歳の頃にイタリア料理店に通いつめていて、そこの店主と気が合って「やる気があるなら今からでも遅くない」と。それで仕事を辞めて30歳から料理人の道へ。 - 平松さん
- 料理人を諦めて過ごした10年間があったから、逆に、本当にやりたい仕事に就きたいという想いが募っていたんでしょうね。
- Kさん
- サラリーマンを経験しましたからね。なおさら……。
- 平松さん
- 父上が建築家で、子どもの頃はどんな家で育ったんですか。その頃から窓への思い入れがあったんでしょうか。
- Kさん
- それはなかったですね。ただ今思うと設計事務所兼住居はモダンな造りでした。建築の道に進もうとは思っていなかったけれど、安藤忠雄さんが大好きでよく講演会に出かけました。イタリアが好きになったのは安藤さんの本の影響もあって、イタリア料理始めたら仕事でイタリアに行けるなって思ったり(笑)。父も80年代に建築見学のために世界中訪ね歩いていて、私は同行はしませんでしたが、旅先の写真を見るのは楽しみでした。
平松さんもお仕事で世界中旅してますよね。ヨーロッパはどこがお好きですか。 - 平松さん
- どこも好きですが、ギリシャの丘の風景は他にはない魅力がありましたね。オリーブオイル協会の招きで訪れたイタリアのトスカーナも思い出深いです。2階の大きな窓から見えた水田の後ろの坂道の農道。さっき農夫の方が一人で坂を上っている様子を見て、トスカーナの風景を思い出しましたよ。
- Kさん
- 私がトスカーナを訪れたのは1回だけですが、町の名前は忘れてしまったけど、小さな町でレストランガイドの星を獲得したお店がありました。そのお店の白い壁に小さな窓が開けられていて、私が座った席からは丘の上の小屋が見えたんですよ。美しい風景を四角く切り抜くように窓があった。「窓の家」を建てようと思った時、私の記憶は一足飛びに、あのトスカーナの小さな窓から眺めた春の日に遡って「そうそう! あの時のあの感じ」と……。
エピローグ(編集後記)
窓越しの風景がくれる感動
二階のリビングにある「窓」を前に、思わず息をのんでしまいました。
その大きなフィックスの窓からは、庭に植えられたサトウカエデの黄緑が目に飛び込んできます。
真っ白い壁にその緑色が反射して、外と一体となっているのかと錯覚するほど鮮やかなものでした。
その向こうには青空が見えたり、雑木林の新緑が眩しかったり、田植えしたばかりの田んぼに打たれた水に太陽の光が反射してキラキラしていたり…
多彩な表情を見せる信州の風景は、本当に美しい…
これを「窓の家」の「窓」という装置を通して見るとその印象は何倍にも強調され、感動的なものになるのです。
まさに一幅の美しい絵画を見るようであり、また見える景色が刻々と変わるさまは、ドラマを見ているようでもあり…
「窓」には家の中から見える風景を劇的に見せる効果があるということを実感するひとときでした。
対談が終わると、自然と取材に参加した人全員の目線は窓の方へ引きつけられます。
そして自然と窓の辺りに集まり、窓越しの風景に浸っていました。
何気なく平松さんが、「雨が降っているのも眺めてみたいわね」とつぶやいたかと思ったら、やがて雷が鳴り始め、稲妻が光りもの凄い雨に。
信州の自然の神様が歓迎(?)してくれたのか、一日で晴天・曇・雨と全て違う表情を見ることができました。
Kさんのお宅はこのような素敵な場所に建っているだけでなく、写真の通り素敵なインテリアや手入れが行き届いたお庭など、ご自身の細やかな感性がすみずみまで行きわたっています。
かわいらしい小さな花器に、朝散歩して摘んでくるという野の花を生けてさりげなく飾る。こんなところからもKさんが日々の暮らしを楽しまれていることが垣間見えます。
シェフとフードジャーナリストという「料理」という共通点をお持ちのKさんと平松さんの対話。
お二人の視点は、この家から生まれる「暮らし」に向けられていました。
どんどん広がっていくお二人のお話をこのままずっと聞いていたい。私を含めたスタッフ全員がそう感じていたに違いありません。
みなさんはお二人の対話をどのように感じていただいたでしょうか。
Kさんの「窓の家」は私たちを楽しませ、感動をくれました。
そして、そこにある「暮らし」の豊かさを感じました。
次に会いに行く家でも、皆さんに無印良品の家から生まれるリアルな「暮らし」をお伝えできればと思います。
(E.K)
「無印良品の家」に寄せて | フードジャーナリスト、エッセイスト 平松洋子さん
その家は、すこやかな呼吸をしていた
誰かの家をはじめて訪ねるときほど、こころ弾むことはない。しかも、それが千曲川と森にはさまれた丘に建つ「窓の家」と聞いて、列車の座席に座っているうちから、気がはやった。家と自然との結びつきを直感して、はやく窓のまえに立ってみたかったのである。
ところが、わたしは窓のすばらしさ以上の幸福感を味わうことになった。もちろん、居間の一方を大胆に切り取って自然を内部に取りこむ窓の存在感はすばらしかった。たっぷりと光が注ぎこみ、日の移り変わりがドラマティックに変化する窓は、まるで自然を取りこむ美術装置のようでもあり、見惚れた。しかし、それ以上に感じ入ったのは、住むひとがしんからこの窓に惚れこみ、この家に住むことじたいを人生のおおきな喜びとして受け取っている姿だった。
家は、不思議なもので、呼吸しているかどうかすぐわかる。ただ新しいとか、みょうに洒落ているとか、そういう表向きの様子とはあまり関係がない。すこやかな呼吸をつづけている家というのは、住むひとの暮らしにやわらかに寄り添うてくる家のこと。春には春の、夏には夏の、秋には秋の、冬枯れた季節にも、おりふしにふさわしい息遣いを持っている。上田の「窓の家」には、そのやわらかな気配がたっぷりとあった。
「この家に暮らしはじめて、家中心の時間を過ごすようになりました。それまでは朝はやく出かけて夜遅く帰る毎日でしたが、忙しさはおなじなのに、家がすっかり生活を変えてくれました」
なんてすてきな言葉だろう。この柔軟な感覚こそ、自分の暮らしのなかにとびきり大きな窓を求めたひとの精神のありようにちがいなかった。
そのうえ、窓は、ひとつではない。キッチンの脇、階段の途中、さまざまな場所にひょっこりと、小さな窓があらわれる。個性もいろいろだ。空を見る窓、夜景を見る窓、浅間山の稜線を見る窓。すべての窓は、自然の出入りぐちでもあった。
「この家に暮らしていると、一日中でも窓を眺めていられます」
自分の家を語る言葉のすみずみに、酸素が行き渡っている。
はるばる上田に来てよかった。招いてもらって、ほんとうによかった。窓の外に広がる田んぼの稲穂を眺めながら、この「窓の家」のことをわたしはずっと忘れないだろうと思った。[2010.8]