『暮しの手帖』編集長、書店オーナーの松浦弥太郎さんが、
Mさん家族が暮らす見晴らしの良い家に会いに行きました。
家に会いに | 2021.12.17
プロローグ
ぼくは家と、家族と、ひとつになる。
家の中が見渡せる風通しの良い階段に腰かけるのが好きだ。
そこから大きな窓の外に目をやれば、遠くに木々が生い茂った森があり、その下の細い小道を歩く犬を連れた子供の姿が見える。空はどこまでも広く、長く、誰かの名を大きな声で呼びたい気持ちになる。ぼくは子供が道端に座ってよくそうするように膝を抱えて、あごに手を置いて、ぼんやりと、家と、家を取り巻く美しい世界をいつまでも見渡している。わがままかもしれないけれど、家族と一緒にいながらも、こんな風に一人になれる家がぼくは好きだ。一人になるということは、家と、家族と、ひとつになれることだとぼくは知っている。
洗い立ての白いコットンシャツを着て、地中海の青さを思わせるやわらかくなったデニムをはいて、友だちがやってくるのを待っている。今日。
ダイアログ1
だから、ここに建てました
松浦弥太郎さんが会いにいった家
新しく造成された高台の住宅地は北西に開けていて北には小高い山が、西側には桜の林が広がっています。南側と東側には既に家が建っていたので、Mさんはあえて北西に面して大きな窓と吹き抜けを設けました。真昼の光が山の緑を照らし、柔らかな光が室内に差し込みます。大きな窓に面してウッドデッキを張り巡らせて、2階の浴室から直接外に出られるベランダを設置。豊かな眺望を暮らしにたっぷり取り入れるプランを考えました。ご主人の勤務先までは自転車通勤という職住接近。夜、大きな窓から溢れるオレンジ色の光が灯台のように自転車で帰宅するMさんを迎えてくれます。子供を育み、暮らしを楽しむMさんの「木の家」へ。
「こんにちは。今日はどうぞよろしく」
「こちらこそ。どうぞ、どうぞ」
- 松浦さん
- 家自体はコンパクトだけど、中に入ると日本の住宅にあまりない開放感がありますね。人工照明で隅々まで部屋を明るくするのではなく、大きな窓からの太陽光をうまく採り入れて生活する様子も海外の暮らしを思わせます。家に生活のリアリティがありすぎると、他人は居づらさを感じるものですが、この家はそのバランスも絶妙。もう少し広く建てることもできたように思いますが。
一人暮らしの経験って大切ですよね
- 夫
- 家の広さを最小限にしようと思ったのは、子供に早く巣立ってほしいと考えたから。ぼくも一人暮らしの経験が今の自分の暮らしに影響を与えていると思うので、子供には自由にいろいろな世界を見てほしいと思っています。いくらお金を持っていても小さな世界しか知らないと、それがその人の選択肢の幅になってしまう。だから子供には良いものをたくさん見てほしい。
- 妻
- まだ1歳なのにね(笑)
- 松浦さん
- ああ、でも、ぼくも同じ考えですよ。娘はまだ中学ですが、早く自分だけの暮らしを楽しんでほしいと思っています。
- 夫
- インテリアや家具に興味を持つようになったのも一人暮らしがきっかけでしたからね。一人暮らしといえばソファだろうと、今も2階にあるジョージ・ネルソンのソファを衝動買いしたり。
- 松浦さん
- 一人暮らしでぼくが最初に買ったものはソール・スタインバーグのポスターでした。ニューヨークの街を描いたイラストレーション。それを部屋に貼りたかった。
- 夫
- ぼくもポスター大好きですよ。
- 松浦さん
- 何もない壁に自分の好みの絵があると、そこが自分の場所になるような気がしますよね。
- 夫
- 自分の場所が何かを知るためにも、一人暮らしと海外旅行の刺激は大切だと思う。ぼくも松浦さんのように若くして海外の暮らしに触れていたら人生が変わっていたかもしれない。子供には良いものをたくさん見て、大きな視野を持ってほしいです。
- 松浦さん
- この「木の家」で育った子供は普通の住宅で暮らす子とは発想が変わるでしょうね。自分にはどんな家がふさわしいのか。どんなインテリアがいいのか。自分で考える力がつくと思います。育つ場所は大事。子供は家に育てられるのだと思いますよ。
家には時間にしかつくれない価値がある
- 松浦さん
- この家で気に入ってるところはどこですか。
- 夫
- ベランダのウッドデッキですね。子供がもう少し大きくなったら走り回って遊んでくれるのかな。お客さんが子供連れだと、子供は家中を走り回ってますからね。それから……。
- 娘
- パパ~
- 夫
- あ、2階から娘が呼んでますが、この吹き抜けも良いですよね。
- 松浦さん
- 無印良品の家を知らない人にはユニークに見えるでしょうね。
- 夫
- そのユニーク感を出したかったんですよ。友人が訪ねてきて「面白い家だね」と言われるような家をつくりたかったので。悪ふざけじゃないけど、普通とは違う面白みをいつも求めているんです。だからあえて無印良品の家具ではないものを合わせたり。
- 松浦さん
- 無印良品は基本的には無個性だけど、どう着こなすか、どう使いこなすかで自分なりの色や価値が生まれる。この家も同じですね。ぼくたちは目に見える価値ばかり追いかけてきたけど、時間をかけてデニムを自分にフィットさせるように、手直しながら、積み重ねるように築く価値にも目が向くようになりました。
- 夫
- 例えばこの家は塗り壁は壁紙と違い、自分で部分的に補修できるし、汚れやひび割れも味みたいになりますから。
- 松浦さん
- 塗り壁は時間が経つと良い雰囲気になりそうですね。白がただの白ではなくて、この家の白になる感じ。家ってそういうものですよね。世間の価値基準では計れない「価値」をつくりあげることができるのが家の面白さだと思うんですよ。
今は早く家を建てて良かったと思います
- 松浦さん
- ここが自分の居場所だと思うのはどこですか。
- 夫
- リビングかな。置き畳の上で「体にフィットするソファ」でゴロゴロしているのは好きです。(ここで奥様が登場)
- 松浦さん
- ご主人が家を建てたいって言った時、どう思いました。
- 妻
- うーん、家を建てるのはまだ早いと思っていたけど、どんどん巻き込まれていった感じで……。
- 松浦さん
- でも、ぼくも家を建てるのは早いほうが良いと思います。
- 妻
- そうですね。ローンを組んだ時にそう思いました。
- 夫
- うちの奥さんはあまり物欲もないし、インテリアへの興味もないんですよ。だから家具もぼくが決めたんだけど、理解してもらえないところもあるんです。男の感覚が強過ぎるのかな~とか。
- 妻
- 男性のこだわりの分野ですよね(笑)。私に特別なこだわりがないから、家づくりも衝突しないでスムーズに進んだのだと思います。彼は良いものをどんどん調べてくれるし、ホントにあっという間に家が建ってしまった。子供が生まれる前だったので、子供の分の収納が不足気味なのは計算外でしたが。
- 松浦さん
- ところでこの家の中で好きな場所はどこですか。
- 妻
- えーと、このへんでゴロゴロできるのがいいですね。
- 松浦さん
- あ、それはご主人と一緒ですね(笑)。
ダイアログ2
価格の理由
モノにはそのモノにふさわしい値段がある
- 松浦さん
- 機械式時計が好きなんですか?
- 夫
- ええ、昔から好きですよ。奥さんにも婚約指輪じゃなくて婚約時計を贈ったくらいですから。最近ブームになって少し嫌気がさして手放したものもありますけどね。
- 松浦さん
- ぼくと同じ時計ですよ。それ。
- 夫
- あ、ホントだ。
- 松浦さん
- ぼくは1965年生まれなので、自分の誕生年と同じ年につくられたモノを見つけるとついつい買ってしまうんですよ。まあ、買い物の言い訳みたいなものなんですけどね。
- 夫
- 松浦さんはカメラも好きなんですよね。
- 松浦さん
- ええ、最近のカメラには興味はないけど……、今のカメラのレンズは非の打ち所がないくらい性能が良くて品質も安定しているけれど、60年代のレンズは手づくりの部分が多く一つひとつ違う。だから当たり外れはあるし、でも今のレンズにはない味もある。そこに惹かれるわけです。65年製の品番を探してそれを使っています。
- 夫
- デジカメは使わないんですか。
- 松浦さん
- 持っていないですね。デジカメにあまり魅力感じないんですよ。
- 夫
- ぼくは少し前にトイカメラにハマって、あの写真の雰囲気が好きでしたね。機械式時計とアナログのカメラはどこか似てるところありますね。
- 松浦さん
- そうですね。ぼくもそう思います。あとはクルマかな。時間やお金の余裕があれば60年代のクルマに乗りたい。やっぱり人の手でつくられた工芸品的なモノが好きなんですよ。
- 夫
- クラシックカーってお金持ちの究極の趣味だと思うんだけど、どうして昔の製品に惹かれるんだろう。モノづくりに対する考え方が違うのかな。
- 松浦さん
- そう思いますよ。当時の手づくりされている製品は壊れても人の手で直せるじゃないですか。ぼくは壊れると直せないようなモノにはあまり魅力を感じないですよ。デジカメやデジタルの時計とか。
- 夫
- 確かに機械式時計は壊れても直せますからね。そのせいか機械なのに不思議と温かい感じが伝わってくる。
- 松浦さん
- そういう手作業が多い製品が高価なのは当たり前ですよ。高いものを安く買おうと頑張るのは時代遅れだと思う。モノにはそのモノにふさわしい値段がありますからね。
壊れた時に「価格の理由」が分かる
- 夫
- ぼくは買い物する時はあまり値札見ないんですよ。だいたい分かるじゃないですか。値札を見て思っていた金額より安いと逆に心配になる。時代によって価値は変わっていくと思うけど、子どもにはモノの善し悪しが見分けられる人に育ってほしいと思います。
- 松浦さん
- 高いモノには高い理由がある。しかもその理由は使った人にしか分からないですよね。ぼくはそれを知りたいから買う時もある。勉強代ですよ。すぐに気づくこともあれば、何カ月も使って価格の理由に納得いく場合もあります。最近は一部の消費者が自分たちの感覚で、少し高くても長く使えるモノを選ぼうとしていますよね。安ければ良いという買い物をしなくなった。
- 夫
- その製品が壊れた時に「価格の理由」が分かることもありますね。壊れたら捨てるしかないのか、ちゃんと直してくれるか。長く愛用するための仕組みを含めた価格かどうか。
- 松浦さん
- それもありますね。そういうところを理解してモノにふさわしい価格で買わないと、訳もなく安いモノばかり売れていると世の中がダメになると思いますよ。値段を下げることに長けたビジネスマンばかりになって、職人やクリエーターが育たないし文化も停滞すると思う。街の風景もつまらなくなる。賢い消費は大切です。
- 夫
- 「無印良品」はそのへんのバランスが良いと思うんですよ。良いものを買っているという安心感もあるし。この家を建てた時もそう思いました。暮らしてみて「木の家」を選んで良かったと実感しています。
ダイアログ3
メンテナンスと価値
良いモノは手入れが必要なのです
- 松浦さん
- 昼間は自然光が差し込んで明るくて気持ちが良いけれど、ぼくは夜の家も好きなんですよ。照度を落とした間接照明でくつろぐと落ち着きます。
- 夫
- ぼくも同じです。照明は調光できるようにしてもらったので、会社から帰ると、少し暗い落ち着いた雰囲気で過ごしています。そのためか、この家で暮らすようになってから寝付きも良くなったんですよね。この照明のおかげかなと思ってます。 夜、会社から帰宅する途中、自転車で坂道を上っていくとこの家が見えてくるんです。大きな窓から家の灯りが漏れているのを眺めるのも嬉しいものです。高台なので昨年の夏はベランダから花火も見えました。
- 松浦さん
- この家で暮らしてもう1年半が経つんですね。
- 夫
- 実はこの歳で家を建てるつもりはなくて、だから貯金もしていなかった。たぶん35~40歳くらいで建てるんだろうなと思っていました。ある日「無印良品の家」のモデルハウスができたことを知り、見学に行ってそこで「欲しい」と思っちゃったんですよ。ぼくはローンが嫌いなんですが、さすがに家を建てるにはローンを組む必要があり、それで機械式時計のコレクションの一部を手放して頭金をつくったり……(笑)。
- 松浦さん
- この家が竣工した時、ご主人は31歳ですよね。その年齢で家を建てたいと思った理由って何だったのでしょう。
- 夫
- う~ん、やっぱり男の夢なんでしょうかね。とにかく「木の家」のモデルハウスに行くと落ち着くし、開放感があって気持ちが良くて、「木の家」へのあこがれが強かったのだと思います。それと、無印良品がつくる家なら、ちゃんとしているだろうという安心感もありました。メンテナンス計画もしっかりしていたし。
- 松浦さん
- 日本の住宅の多くは時とともに劣化が進み、資産価値を失った末に建て替えられるのは悲しいですよね。極言するとメンテナンスフリーで良いモノはないですよ。良いモノは必ずメンテナンスが必要だと思う。住宅をきちんと手入れしていくことでその家の価値が育つし、長く暮らすことができるのだと思います。「無印良品の家」は自分で味をつけていく余地があるのもいいですね。
- 夫
- そうですね。
暮らしの美意識を大切にしたい
- 松浦さん
- 1年半暮らしてみて、もしこの家に何かを追加するとしたら何ですか。
- 夫
- やっぱり和室が欲しいですね。完成見学会に行くと和室を設けている家が多くて、「木の家」はたたみ敷きの和室があってもぜんぜん違和感がなかった。和も洋も受け入れられるデザインなんだと改めて思いましたから。
- 松浦さん
- インテリアに興味を持ったのはひとり暮らしを始めた頃だったのでしょうか。
- 夫
- 10年くらい前ですね。就職して、ここからすぐ近くの2DKの賃貸住宅で暮らしたのが最初のひとり暮らしで、インテリアへの関心が生まれたのもこの頃です。
- 松浦さん
- デザイナーズファニチャーを雑誌が採り上げ始めた頃ですね。いろいろな情報もあって、インテリアのことを考えるのは楽しかったんじゃないかな。ぼくはもうひとまわり前の世代なので、ホームセンターでカラーボックスを買ったくらいかな。窓にブラインドを付けることがあこがれでした。
- 夫
- ホントに楽しかったですねー。家電も家具も全部自分で選んで、すべて自分の思い通りにできるのが嬉しかったことを思い出します。
- 松浦さん
- このダイニングチェアはデンマーク製ですよね。
- 夫
- ええ、テーブルも同じデザイナーです。ぼくが選ぶのはベタな定番ものばかりなんですけどね。
- 松浦さん
- でも定番は長く使えるし不思議と飽きないですよ。実はわが家も同じ椅子を揃えています。この椅子に座ると「わが家に帰ってきた~」という気持ちになる。10年くらい経つとブナ材が飴色になってきて良い雰囲気になりますよ。
- 夫
- この椅子はフォルムが完成されていて美意識の高さが感じられますよね。暮らしの中でそういうモノに触れていたいんですよ。ぼくの初めてのヨーロッパ体験は新婚旅行だったんですが、パリの街並みがキレイなことに感動したんですね。美的感覚の違いを感じた。彼らは自分が暮らす環境が美しくないのは許せなくて、それが当たり前の世界で生きている。本当に刺激を受けました。娘にも早くそんな世界を知ってほしいと思います。
エピローグ(編集後記)
家もまた成長する
家に会いにVol.2のテーマは「育つ家」。
私が今回の取材を通じて強く感じたことは、家も人によって成長し、そこに住む人もまた、家によって育てられるのだということでした。
私がMさんのお宅に初めてお伺いしたのは、ご入居後間もない2008年9月のことです。今回トップ画面に写っているお子さんは、そのころはまだお腹の中でした。取材の最後に、外のウッドデッキでお腹の大きな奥様とご主人二人で記念写真を撮ったことを記憶しています。
今回、1年半が経過し、ご家族構成にも変化のあったMさんがどのように「木の家」で生活をされているのか、実は私もこの取材を楽しみにしていました。
改めてお伺いして気がついたことは、お子さんを中心とした住まい方に変化しながらも、家具などの配置を変更して今の生活に最適化されていたこと。家も家族とともに確実に成長しているということを強く感じたのです。
着実に変化する家族の姿、それとともに成長する「無印良品の家」。今後私も、Mさんの暮らしとその器である「無印良品の家」がどんなふうに育っていくのか、見守っていきたいと思っています。「木の家」に生まれ、「木の家」で育つお子さんはどんな感性をもつようになるのでしょうか。個人的にはとても興味があることでもあります。
今回、ご対談いただいた松浦弥太郎さんは、若い頃にアメリカへ単身渡り、現地でさまざま経験をされていますが、Mさんもまたフランスを始めとするヨーロッパに大変興味を持たれていました。自分の身の回りにはないものを求めて海外へ目を向ける。お二人の対談では、この点では共通点があったように思います。
お子さんに自分が経験してきたことを伝え、そして体感し成長してもらいたい、そんな思いもMさんの家づくりの考え方の中に生かされていたということがおわかりいただけるのではないでしょうか。
今回の取材、実は前日まで雨がふっていて、晴れ男である担当の私もやきもきしていましたが、当日は雨も止み、肌寒かったのですが濃いピンク色のヒカンザクラがいっそうきれいに見えました。周囲にはソメイヨシノも多いとのことで、シーズンには家の中からもお花見が楽しめたことでしょう。
次の家に会いに行くときも、どうか気持ちよく晴れますように。そしてまた新しい発見があることを願って…(E.K)
「無印良品の家」に寄せて | 『暮しの手帖』編集長、文筆家 松浦 弥太郎さん
父の残した言葉
僕の父は戦後、煙突や貯水塔といった特殊な技術を要する建設会社を興し、高度成長の波に乗って大きな財を得た。しかし、ある日、自分が雇った二十歳にも満たない若者が不慮の落下事故で亡くなったことを悔やみ会社を畳んだ。生命保険など整備されていなかった為、若者の遺族に自分の全財産を与えて、その責任を果たした。
その後、わが家は、渋谷区神宮前の桜の木が植えられた大きな一軒家から、中野区本町の四畳半の和室と板の間の台所だけのアパート住まいになった。風呂はなかった。玄関を開ければ暮らしすべてが見渡せる狭さだった。
自分の責任で人が一人亡くなったからには、自分はしあわせになってはいけない。そんな暮らしをしていては、その家族に顔向けできないと父は思ったのだった。
「家や家具は財産と思え」。
そんな暮らしの中、父は僕によくこう話した。アパートでの簡素な暮らしの調度品は、けやき一枚板のちゃぶ台、加茂の小さな桐たんす、西陣織の座布団、家族の数だけある飯椀や器は、工人によって手仕事された逸品だった。持っているものはわずかだったが、そのどれもが父の眼によって選ばれたモノばかりだった。
「買ったときに価値が下がるものに手を出してはならない。使うことで、その価値が上がるものを慎重に選ぶように。価値とは金額のことではない、深まるモノに対する愛情と、発見するモノの良さということだ」。
今、家を持つようになった僕は時折、父の残した言葉を思い出す。妥協して物を選んでいないか、それは財産といえるのかと。暮らしにおいては、家は小さく簡素であろうとも、コップひとつ、ほうき一本でも、それは自分の財産であると胸を張る生活態度を持ちたい。
みすぼらしいアパートの一部屋であろうとも、窓ガラスをいつも美しく磨いてさえいれば、どの家よりも輝いて見える。だから、町いちばん窓ガラスがきれいなわが家になろう。どんなに立派な家であっても、窓ガラスが汚れていたら大きなゴミにしか見えない、どんなものでも磨けば輝く。と子供の頃、散歩しながら話してくれた父の言葉を最後に記しておきたい。[2010.6]