いま部屋にあるものは本当に必要ですか?

コラム | 2017.4.25

この住まいのかたちコラムで、「ものをもたない暮らし」というコラムを書いたのが2008年11月です。それから約8年半のあいだに、すっかり「ものをもたない暮らし」や、「コンパクトライフ」、「ミニマルライフ」という考え方は市民権を得た、というより「憧れの的」になった感があります。これらの言葉には、単に「無駄を排除した暮らし」というだけではなく、「ていねいな暮らし」に通ずるものがあるように思います。

ものを無駄に持たないことの効果には、本当にお気に入りのものだけを大事にする、ということだけでなく、家族や自分、さらにはまわりの人たちと向き合う「場」や「時間」を大切にできる、豊かな暮らしにつながる、という期待があるのではないでしょうか。
それは、昔の日本人の「何もない」簡素簡潔な家と暮らしが、ものにあふれている現代より実は豊かであった、という郷愁があるからかもしれません。

考えてみると、昔は、家にあって当たり前のもの、例えば、お風呂やテレビ、電話さえ各家庭にはなかったのです。
お風呂はもちろん「銭湯」に行くのが当たり前でした。そこはご近所さんたちの社交場であり、情報交換の場でもありました。
テレビも、スポーツ中継が始まれば、テレビのある家に自然に皆が集まり、いまのスポーツバーより盛り上がっていたかもしれません。
さらに電話のない家は、電話番号欄に(呼)と注釈が入っており、そこにかけると、その電話の持ち主である大家さんやご近所さんがその方を呼び出してくれていたのです!
塩や醤油などの調味料も、うっかり切らしていたときは、いまのようにコンビニがあるわけではないので、当たり前のようにお隣同士で貸し借りをしていました。
そこには「お互い様」という、人と人との信頼と親しみが溢れていて、それが私たちの憧れる、「豊かさ」の一つなのかもしれません。

そのように考えると、いま私たちの家にある必要なものは、本当に必要なのか、疑ってみたくなりませんか?
とくに限られたスペースの都市部の部屋では、「借りる」「シェアする」ということが「所有する」ことよりも合理的で、かつ人とのコミュニケーションのきっかけになる、という点で、その価値が見直され始め、シェアハウスやスーパー銭湯、居心地の良いカフェなどの「場」の共用や、カーシェア、シェアオフィス、CDレンタルなど、必要なときに必要なものを使える仕組みは当たり前になりつつあります。
さらに、車や家具、別荘など、まずは個人で所有しなくては始められなかったモノもシェアし合えるようになれば、いままでとちがった暮らし方の発見があるかもしれません。
シェア(共用)の仕組みも、誰でも使えるサービスから、例えば集合住宅の住人限定とするものまで、いろいろなことが考えられそうです。

現代人は、何を、どのようにシェアすることができるのか。そのことで住まいが、暮らしがどのように変わるのか。広い部屋に豊かさを求めるのではなく、小さい部屋での豊かな暮らしとはどのような暮らしでしょうか。これからみなさんと一緒に考えていきたいと思います。

第4期第2回「住まいとモノの持ち方」についてのアンケートも合わせて実施していますので、ぜひみなさんのご意見をお聞かせください。
<!– (アンケートは終了しました。たくさんのご回答ありがとうございました。2017.5.2) –>
(アンケートは終了しました。たくさんのご回答ありがとうございました。こちらでアンケート結果をご報告しています。)