廊下は少ない方が良い?
住まいのかたち | 2009.6.24
豊かな時間が求められている
ミヒャエル=エンデという作家の「モモ」という小説を読んだことはありますか?モモという人の話を上手に聞くことができる能力を持った女の子の話です。モモには親がいませんでしたが、村人みんなと仲良く楽しく暮らしていました。しかし、灰色のスーツを着た時間泥棒達が村人の時間を奪い、村人はいつも仕事に追われる暮らしになってしまいました。以前のようなモモとの楽しい時間を失ってしまったのです。モモはとても悲しみました。そして、モモは失われた時間を取り戻すために時間泥棒達との戦いを始めるのです。
この話は今から30年以上も前に書かれたものです。でも、なんだか現代の私達の暮らしと似ていると思いませんか。エンデは作家でありながら、時間やお金、資本主義など人間社会に関する思想家でもありました。きっと「モモ」という小説は当時、やがて訪れる未来への警鐘を鳴らすために書かれたのでしょう。
最近「ワークライフバランス」という言葉をよく耳にします。仕事や学校の占める時間が増え、家族や友人との時間が取りにくくなっています。1990年代のIT革命も業務効率を飛躍的に向上させましたが、生み出されたものは時間ではなく、更なる仕事でした。ゆとり教育も豊かな時間ではなく、塾に通う時間を生み出しました。
残念ながら失われた時間は小説のようには取り戻せません。あらゆることにスピードが求められる現代だからこそ、より豊かな時間や暮らしが求められているのではないでしょうか。
廊下=間(ま)
家を買う時、借りる時、部屋の広さは大切な要素です。でも広さが十分でもリビングの広さや収納の量、キッチンなどの大きさがバランス良く取れていなければ、良い住まいとはいえません。
廊下があまりに多いと実際の居住スペースが有効的に取れていないことになるので、一般的には「廊下は少ない方が良い」とされています。
廊下は部屋と部屋をつなぐ「間(ま)」です。日本人はこの「間」という言葉を昔から大切に扱っていたのではないかと思います。例えば「時間」「空間」「人間」「仲間」「昼間」など、人が暮らしていく上で大切なものにこの「間」という言葉を取り込んでいます。
「人間」の「間」という文字をとってみても「人間」と「人」はほぼ同じ意味ですが、広がりやつながりのない味気ない言葉になってしまいます。「間」という文字があると、ちょっぴり幸せな感じがしませんか?
きっと何事にも適切な「間」が必要なことを先人達は知っていたのでしょう。ひょっとすると「少ない方が良い」とされていた廊下も再解釈することで、違ったものになるかもしれません。
広い廊下は廊下ではない
「無印良品+リビタ リノベーションプロジェクト」の第2号物件「リノアたまプラーザ402号室」が完成しました。
この物件の特徴は広い廊下があることです。豊かな暮らしと「間」の関係性について私たちは考えました。一般的に無駄と思われがちな廊下を隙間ではなく、空間の可能性を広げるものとして、ポジティブに捉え直したのです。
この物件は約90m²の広さで、東西方向に長い形状をしています。東西方向に光と風が通り抜ける幅1.5mの広い廊下をつくりました。
「広い廊下」をつくったはずなのに「廊下がない」という印象です。この廊下はダイニングなど他の部屋の一部にもなり、他の部屋は廊下の一部となるのです。個室の引戸を開放すればひと続きの大きな部屋にもなり、シーンによって部屋の大きさを変えられる自由度があります。
また、この廊下が家族の気配を伝える媒体としての役割をし、適度にプライバシーを確保する空間としても機能します。
小さな子供が気持よく走りぬけ、ボーリングなどの遊びもできそうです。本棚を並べて図書館のようにしても良いかもしれません。リビングやダイニングも気持ちのよい空間にできていますが、きっとこの広い廊下がこの物件の主役になるのだと思います。
モモ達が過ごした、無駄と思われた時間は豊かな生活を生み出していました。一見、非合理的な間取りに見えた「広い廊下」は、暮らしに可変性を持たせ、家族の気配を感じさせる豊かな空間を生み出しました。
時間にも空間にもどうやら「間」が必要なようです。みなさんもこのような空間に住んでみたいと思いませんか?それとも、やはり廊下は少ない方が良いですか?