【MUJI×UR イベント】団地雑談の会-団地遊びから育むコミュニティ-(前編)

MUJI×UR団地レポート | 2025.6.11

※このレポートは、2025年4月19日(土)に無印良品 グランフロント大阪で行われたトークイベントの模様を採録しています。

Part1:MUJI×URについて

松枝
皆さんこんにちは。本日はご参加いただきありがとうございます。
本日進行を務めます株式会社MUJI HOUSEの松枝と申します。どうぞよろしくお願いいたします。

2023年9月に無印良品 グランフロント大阪のリニューアルオープンに合わせ、MUJI×URの住戸を再現したモデルルームを新たに設置したことを機に、トークイベントを定期的に開催しております。毎回、暮らしにまつわる多様なゲストの方をお招きして、未来の日本の暮らしについて様々な角度から考え、MUJI×URの今後のプロジェクトに生かしていくという目的で実施しております。
MUJI×UR団地リノベーションプロジェクトは、大阪からスタートしました。2024年までに全国71団地までに広がり、現在リノベーション住戸は約1,300戸以上、北海道から福岡まで展開をしています。

これまで、リノベーション住戸を普及させていきましたが、これからはトークイベントなどで皆さんから暮らしについて、色々とご意見を伺いながらプロジェクトを充実させていきたいと思っております。

それでは皆さまお待ちかねと思いますので、ゲストの方にご登場いただきましょう。
本日のゲストスピーカーは上原浩治さんです。

上原
みなさんこんにちは。
よろしくお願いします。

松枝
上原さん、本日はよろしくお願いします。
ご来場いただいている方のうち半数の方が上原さんのSNSをご覧になって参加してくださりました。
私がご紹介するまでもないですが、上原さんは、1998年にプロ野球ジャイアンツに入団、2009年に大リーグでもご活躍されて、2019年に現役を引退されました。今は野球解説や野球に関する様々な活動をされています。最近では不動産などの投資関係のお仕事や公演もされていらっしゃいます。

上原
そうですね、投資関係の仕事はときどきしています。

松枝
野球を中心にいろんな普及活動もされています。
今日は、野球のお話も伺いたいと思いますが、団地にまつわるお話をメインに伺いたいと思います。
実は上原さんは大学生の頃まで団地にお住まいだったということで、いろいろなエピソードをお持ちなのではないかということで、今回登壇頂くことになりました。無印良品もいろいろなかたちで団地での活動を行っているので、そちらも併せてお話をさせていただければと思います。
本日ですが、モデレーターとして、UR都市機構の岩田さまと、株式会社MUJI HOUSEの豊田の2名が参加させていただきます。
岩田さま、自己紹介をよろしくお願いします。

岩田
URの岩田です。本日はよろしくお願いいたします。

豊田
株式会社MUJI HOUSEの豊田です。私はMUJI×UR団地リノベーションプロジェクトの立ち上げメンバーの1人で、設計を担当しておりましたので、今日は設計者の視点からお話をさせて頂ければと思います。よろしくお願いします。

松枝
ありがとうございます。
それでは本題に移りたいと思います。
本日は「団地雑談の会 -団地遊びから育むコミュニティ- 」をテーマにトークセッションを行いたいと思うのですが、まずは上原さんへのご紹介もかねてMUJI×UR団地リノベーションプロジェクトについて簡単にお話ししたいと思います。その後に上原さんには団地での暮らしやエピソードなどをお伺いしたいと思います。
豊田さんよろしくお願いします。

豊田
よろしくお願いします。URさんは日本最大の大家さんで約70万戸の団地住戸を管理されています。
それに対し、無印良品は雑貨も含めて様々な生活用品を販売しています。
私の所属しているMUJI HOUSEでは、新築の戸建ての販売中古マンションのリノベーションも行っていて、家づくりのプロが揃っています。

そんな両者が2012年に出会い、URさんの団地を拝見させていただきました。当時、私は設計担当だったのですがとても素晴らしい住まいがあったんだなと発見することができ、住戸内を少しだけ変えることで無印良品ファンの方や若い人向けに紹介ができるのではないかと思いプロジェクトがスタートしました。
実際スタートするにあたっては、団地暮らしの良さ、団地の良さを若い人に特に知っていただこうと思いました。

リノベーションを検討するにあたり、無印良品はお客さんとのコミュニケーションをとても大切にしている会社で、ファンの方へwebでアンケートを取りました。数千人の方に回答をいただき、団地をリノベーションする場合どのようなことを希望するのかを聞いてみたところ、その中で1番多かったのが「間取りを自由にできると良い」というご意見でした。
アンケートで回答いただいたご意見を取り入れながら、団地の良さを社会に伝えていこうと思い設計を行いました。

賃貸住宅はどうしても固定された間取りや仕様になってしまい、部屋に自分の暮らしを合わせないといけないということがあるかと思います。そうではなく、今は様々な暮らし方がありますので、自分の暮らし方に合った部屋に住みたいということが背景にあるのかと思いました。
そういったご意見をいただき、その部分を大切にしたリノベーションを考えていくことにしました。若い方に団地の魅力をどう伝えて行こうかと考えた時に、団地の古さはもちろんあるのですが、この古さは若い方にとっては逆にビンテージ感やレトロ感などそう言ったことにつながるのではと思い、それらを生かしたデザインにしました。

また、陽当たり、風通しがとても良い環境なので、そちらの部分もさらに強調したリノベーションを考えました。

リノベーションを行うに当たり、「こわしすぎず、つくりこみすぎない」ようにしています。団地がそもそも素晴らしいという考えがベースにあるので、そこにあまり手を加えないで作っていくというのが大切なのではないかと考えています。

MUJI×URについては「生かす」「変える」「自由にできる」という3つのコンセプトをつくり、こちらを住戸の設計に生かして行きました。
古い部分を生かしていくところと、古いのは良いとは言っても水回りは変えたりしています。さらに、お客さまのアンケートでいただいた「間取りが自由にできる」というご意見を生かし、お住まいになる方が自由にできる部分を作りました。

MUJI×URは10年以上続けさせていただいて、スタートはここ大阪からスタートました。東京、名古屋、福岡、北海道と現在では全国に広がり、今では約1,300戸以上のお部屋のリノベーションをさせていただいています。

嬉しいことに、若い方を中心に選ばれており、40代以下の方が約75%パーセントと非常にたくさんの方に入居いただいております。団地にお住まいの方の高齢化が進んでいるということもあると思うのですが、若い方に住んでいただくことで団地を活性化していこうという当初の目的はある程度果たせたかなと思っております。

松枝
豊田さんありがとうございます。そもそも上原さんは無印良品をご利用されたことはありますか?

上原
すみません。あまり買い物をしなくて。

松枝
今日イベントを行っているこちらのフロアは住空間と呼ばれる売り場となるのですが、こちらをご覧になった時はどう思われましたか?

上原
「シンプル」だなと感じました。イベントが始まる前にMUJI×URのモデルルームを拝見しましたが、置いているものも全て無印良品のものでしたし、楽屋でいただいた食事も無印良品のカフェのものをいただいたのですが、暮らしに必要なもの全てをそろえることが出来るんだと思いました。

松枝
ありがとうございます。
まさにMUJI×URの設計もそうですよね。デザインをできるだけシンプルにしていますよね。

豊田
そうですね。ゴテゴテ装飾するような感じではなく、できる限り要素を削ぎ落とすようなデザインとなっています。

松枝
先ほど上原さんからお話をいただきましたが、皆さんの後ろに実際の団地の住戸を再現したMUJI×URのモデルルームがあります。イベントの前に上原さんにもご覧いただきました。シンプルという感想をいただいたのですが、それ以外に感じたことはありましたか?

上原
そうですね。キッチンの近くにあった柱にこどもの身長の記録残っていたのですが、すごく懐かしいなあ、自分もやっていたなと当時の思い出がよみがえってきました。
あと、鴨居の部分ですが僕は身長があるので頭に当たってしまうので削ってほしいですね。ちょうどおでこの高さにあるんですよね。僕のおでこの形が悪いのはあれのせいです笑

岩田
上原さんのおでこの位置にくる鴨居もですが、モデルルームで使用している木部やドアなどのほとんどは、実際にUR団地の住戸から移設したものとなります。
上原さんにお話しをいただきました、身長を記録している印がついた柱も実際にお住まいだった方がつけられたものとなりますので、ぜひ後ほど探してみてください。
私も団地住んでいた時はよく頭をぶつけました笑

Part2:上原さんのこれまでの暮らし変遷 ①団地での暮らし

松枝
団地のエピソードも出てきましたので、「団地の暮らし」について皆さんに色々とお話いただければと思います。

岩田
私事ですが、今はもう住んではいないのですが、実は一時「寝屋川団地」で暮らしていました。団地に住んでいた当時、上原さんのお名前を同じ階段室のおばあちゃんから「上原くんがあそこで壁当てをしていたのよ」といったお話を聞くことがあったのですが、今日、その「寝屋川団地」にお住まいだった上原さんと登壇させていただけるのは非常に光栄です。今日はよろしくお願いします。

それでは、私からは「寝屋川団地」についてご紹介します。

まず、寝屋川団地は京阪本線の寝屋川市駅が最寄り駅になります。バス便の団地となり、住戸数が1,560戸と、URの団地の中では比較的大きな団地となっています。昭和47年に管理が開始しており、もう53年が経過していますがたくさんの方に住んでいただいていて、入居者の募集を行っているまだまだ現役の団地です。

ちなみに私が住んでいたのは、こちらの地図に「管理サービス事務所」と書いてある中央部分の少し上に位置する、C34号棟に住んでいました。

上原
僕は最初に住んでいたのがちょうど中央くらいのところにあるC21号棟で、そこから引っ越しまして、C31号棟になりました。

岩田
団地内で引っ越しをされているんですね。

上原
そうなんです。団地でも部屋の広さが異なっていたので、僕が5年生か6年生の時まで住んでいた21棟は2DKの間取りの部屋だったのですが、31棟は3DKでしたので引っ越しをしました。

岩田
引越しをされたのは、上原さんご兄弟が大きくなったからなのでしょうか?

上原
兄貴は僕より背が大きかったので、おっきい2人が家にいたら親は大変だと思いますよ。

岩田
団地内でお部屋を住み替えることが出来るのはある意味賃貸ならではですね。寝屋川団地には長くお住まいいただいたと伺っているので、いろいろなエピソードなども伺えたらと思っています。

こちらの写真ですが、最近撮影をした寝屋川団地の様子です。
上原さんがお住まいの頃から変わらず、中層5階建ての階段室の住棟となっています。外観ですが、色を塗り直したり階段室のエントランス周りのサインも変えてみたりと手を入れながら現役で頑張っている団地です。上原さんがお住まいだった頃と雰囲気はだいぶ違いますか?

上原
全然違いますね。住棟の外壁に今は絵が描いてありますが、僕らの時はなかったですし、上の方は住棟の番号で「C21」などだけしか書いてなかったです。あと、階段室も今は住棟番号や部屋の番号も描かれていますが、そういうのも一切なかったです。

岩田
実は住棟番号は袖壁に書いてあるのですが、部屋番号については階段室が並んでいると外から来られた方にはわかりにくいとご意見をいただき、後から追加をしています。
壁面の絵は上原さんがお住まいの時には無かったんですね。
53年経ち樹木もだいぶ育ってきていて、住棟などと同じく手入れをしていますので緑が豊かな環境を維持している状況です。
団地の概要としては以上で、ここからは上原さんの当時の団地暮らしについてお話を伺いたいと思います。
こちらの写真を用意しています。

上原
これは去年のものですね。
というのは冗談で、実際は小学校4年生か5年生ぐらいのときのものですね笑

松枝
こちらは野球チームですか?
団地の中で練習をされていたのでしょうか?

上原
はい、野球チームのものですね。
練習は団地の近くに小学校がありそこで行っていました。当時はチームのメンバーみんな団地住まいの人たちばっかりだったので、すごい人数がいたんです。右側は兄貴で、兄貴も野球をやっていたので一緒にキャッチボールとかもしました。

岩田
ちゃんと阪神のキャップを被っていらっしゃいますね。

上原
阪神ファンということを公言しているので、大丈夫です笑

岩田
お兄さんと写っている写真は団地の中ですか?

上原
団地の中だと思うのですが、具体手な場所がどこかっていうのは公園がたくさんあったので分からないですね。みんなで集まるような場所が団地の中に10か所ぐらいあったと記憶しています。

岩田
公園・プレイロットは大きいものだけでも4・5か所ありますし、団地の一角には小さいものあるので、上原さんがおっしゃる通り寝屋川団地には10数か所の公園があると思います。当時こどもたちが集まる場所に事欠かなかったのではないかと思います。

上原
当時は家にいるよりも外にいるこどもたちの方が多かったですね。

松枝
学校が終わって家に荷物を置いて外へ行ったら誰かいるような環境だったんですか?

上原
僕は両親が働いていて鍵っ子だったので、家に帰ってなかったです笑
ランドセルを背負ったまま公園に行って、公園でみんなと遊ぶ感じでしたね。

岩田
そういう意味では、本当に活気が溢れている感じですよね。確かに私もこどもの頃って約束をしなくても、公園に行ったら誰かがいる感じでした。

上原
まさにそんな感じでした。ちょうど団塊世代のこどもなので、僕らと兄貴の2個上の昭和48~ 50年生まれの方がすごく多かったんです。兄貴の友達とも一緒に遊んでいたのも覚えていますね。

松枝
こちらの写真は団地に隣接する小学校のグラウンドになりますが思い出などを教えていただきたいです。

上原
残念なことですが今はもう廃校になってしまいました。
僕が団地に住んでいた時は自由に入ることができたので、校庭でキャッチボールとかをしていました。

岩田
ご両親が書かれた書籍を読ませていただくと、お母さまともキャッチボールをされていたんですね。

上原
公園で一緒にやっていましたね。おかんがソフトボールをやっていたので、結構投げることができるので。

岩田
ちなみに資料に記載している「団地の狭い路地でのキャッチボールがコントロールの秘密と違うやろうか。」は、書籍にかかれていた文章から引用しているのですが、上原さんはこのキャッチボールについてどう感じられているのかを伺いたいです。

 

上原
遊びでやったことはあるかもしれませんが、こういった狭い路地で日常的にキャッチボールしていた記憶はないですね・・・

岩田
ちなみに1番左側の写真がC31棟の住棟となります。

上原
なるほど、C31棟のバルコニー側から撮影しているから、階段室の反対側ですね。
キャッチボールは公園の端っこの方でしていたことが多かったと思います。1人の時は団地で壁当てをしている感じでしたね。
公園でキャッチボールやピッチングの練習をしていましたね。ただ、コントロール良くなったのはオカンのおかげじゃないです笑

岩田
ちなみに1人の時にやられていた壁当てはどのようにやられていたのですか?

上原
壁当てこそがコントロールが良くなった秘訣です。
周りにお住いの方には謝らないとダメですね。壁打ちというか、壁当てになるのですが、階段が5段あるじゃないですか。真ん中の3段をストライク、1番上と1番下をボールという風にして練習していました。

岩田
なるほど。階段にめがけて、ボールを投げ込んでいたんですね。

上原
軟式球ですよ。硬式は投げたらダメですよ。

岩田
ちなみに跳ね返りは結構ランダムになりますよね?
当時からドンピシャで当てていたんですか?

上原
そうですね。ランダムで跳ね返ってくるので、逆に取る練習にもなります。
階段室の外側に枠があるので、そういうところに当てたり、枠の幅が狭いのでそこを目がけて投げるとか、そういうことをしていました。
階段が5階まであるので、それをずっとやっていました。

たまに外れて階段室の間に入ったら、走って取りに行くんです。階段ダッシュになるのでトレーニングですよね。
何回かはガラスを割りました。ちゃんと親と謝りに行きました。

岩田
想像していた壁の使い方と違い驚いています。自分のこどもの頃は、壁に向かってボール投げはしていたんですが、平たい壁に向かって投げるぐらいで、階段でストライクボールなんてまず発想もなかったです。
大家としてちょっとドキッとするようなとこもあるのですが、一方で当時はみんな温かく見守っていたんだなと思いました。

上原
特にそんな難しいことをしているわけではなかったですけどね。
住んでいる人がみんな知り合いじゃないですか。
だから「ごめんなさい」とまずは謝って、親を連れてガラス代を持って行く感じでした。

岩田
今も昔も多分いろんな方いらっしゃるかと思うのですが、許容度が違ったのかなと思いました。こどもが一生懸命練習をしていると、ついつい応援したくなるっていうのもあるんだと思うんですけどね。
それにしても、ボールが5階まで届くんですか?

上原
届きますよ。
小学生の自分でも全然届きました。

岩田
それは凄いです、私でも届かないです。
ちなみに若干話は変わりますが、この左側の写真の、エントランスの横のダクトが何か覚えておられますか。

上原
覚えていますよ。ゴミ出しが簡単にできるやつですよね。4階から出せば、下にあるゴミ箱に、ゴミが落ちてくれるので下まで持っていかなくていいんですよね。

岩田
おっしゃる通りです。ダストシュートと言われていて、各階段室からゴミが捨てられるんです。
ここの下にゴミ受けとしてコンテナボックスみたいなものが入っていて、そこに溜まるようになっています。ゴミの収集の日は清掃員さんが取り出してくれるものなのですが、今思えば先進的なのかもしれない便利なものでしたよね。

上原
そうですよね。今はマンションだと各フロアで何曜日に出してくださいとか、そういうものだと思うので。

岩田
先ほどお話しいただいた階段室を使った練習は毎朝されていたんですか?

上原
学校から帰ってきてからやっていました。
朝は野球チームの朝練があったので、団地の裏にある公園で練習をしていました。この資料にかかれている文は、おかんによる関西人特有の「盛り」ってやつですね。

岩田
かなり大きく盛られている感じがありますね笑
先ほど上原さんからお話をいただきましたが、公園や砂場のような遊び場が団地内にはたくさんあったかと思います。
書籍の中に、お部屋のすぐ下に砂場があったっというお話と、兄弟喧嘩をされると部屋が壊れたりするので大変だから、砂場でやるように言っていたというエピソードがあったのですが。

上原
そうですね、兄弟喧嘩をしているときに「砂場に行け」って言われると逆にけんかをやめるんですよね。でも、兄貴とはよく喧嘩はしましたね。

喧嘩だけではなくて、先ほどのキャッチボールもですが、こういう遊具がある広場で、みんなで集まって柔らかいボールで野球やサッカーをしたりして遊んでいましたね。

今はブランコとか遊具など固定されていると思うのですが、僕らの時は自由に動かせていたので、危ないっていったら危なかったんですけど、そういう中で野球とかサッカーも全然やっていましたね。

岩田
そうですよね。私が寝屋川団地に住んだのが親になってからだったので、まだこどもが小さかったのですが、小さくても十分遊べるようなスペースがあったのと、小学校ぐらいのこども達がボールを使った遊びも楽しめる広さでしたね。

上原
あと、当時の団地には電話ボックスが絶対1個ありましたね。

岩田
団地といえば公衆電話がありましたね。こういう広場があるのは団地ならではというか、結構すぐに遊び行けていいですよね。

上原
あまり遠出をしないですよね。近所に公園が何個もあるので、近所の1番近い公園に行って、友達がいないなと思ったら違う公園に行きますからね。友達がいたらここで遊ぼうとなりますからね。

岩田
普段から寝屋川団地の周辺で遊ばれていたんですか?

上原
小学生の時はそうでしたね。
中学校は寝屋川団地と三井団地ともう1つの団地のメンバーが集まっていたので、中学生からは遊びに行くとちょっとだけ行動範囲が広がりましたね。

岩田
中学・高校生になると行動範囲が広がりますよね。上原さんが寝屋川団地の周辺を走り回っていたんだなと分かりました。

上原
走り回っていましたね。

松枝
それではお住まいになられていたお部屋についてお話を伺って行きたいと思います。団地に住み始めたときは2DKで、引越しをされて3DKのお部屋にお住まいだったと伺っています。間取りを用意してみたのですが思い出と一致していますか?

上原
間取りを見て懐かしいなと思って。「あ、こうだったな」っていう。

松枝
ちなみに上原さんはどの部屋にいらっしゃったんですか?

上原
玄関を入って左側の和室のところです。机を向かい合わせて兄貴と勉強をしていましたね。寝るときはその部屋に兄貴1人です。
机は僕の分もありましたが、寝るときは、僕は左上の和室の方に移動させられました。

岩田
そうだったんですね。お兄さんだけお部屋があったんですね。

上原
兄弟となると、兄貴の方が上になるわけですから。そこは俺が先やと。もうそれはしゃあないでしょ。年齢は勝てないですもんね。

岩田
なるほど。昼間や晩ごはんを食べる時とかは大体このダイニングにいた感じですか?

上原
はい、そこに集合する感じですね。テレビとかも置いてありますし。両親と3人一緒に寝る感じです。

岩田
書籍には「決して広くはなかったけど、常に家族が顔合わせて暮らしている」ということ、「常にコミュニケーションが家族で取れていることが良かった」と書かれていました。

上原
そうですね。一戸建てとなると、こどもって自分の部屋に行ってしまうじゃないですか。
部屋に行ってしまうと親と会話を交わすことってほぼなくなってくるので、この広さの間取りだと、嫌でも顔を合わせますよね。トイレへ行くのにも顔を合わせるような感じになるわけですから。

岩田
確かにお住まいになられていた3DKのお部屋ですが、約50㎡弱ぐらいだと思うので、非常にコンパクトだったと思いますね。
実は私もこの間取りのお部屋だったのですが、和室の横にある押し入れにとにかく物が入ったのを覚えています。

上原
僕の家も、布団と使わない衣類が結構そこに入っていましたね。

松枝
お部屋の中でのエピソードや印象に残っていることは何かありますか?

上原
うちは共働きだったので、よく洗濯をしていた記憶がありますね。
洗濯を終えたらバルコニーに洗濯物を干して、ちゃんと自分で取り込んでいました。

岩田
洗濯機は洗面所の隣ですね。

上原
そこですね。今は洗濯から乾燥機まで全部やってくれるじゃないですか。こどもの頃はまだ二槽式で、洋服を洗ってから脱水する方に移し替えて、それから干すみたいな感じだったんで。洗濯嫌でしたね。

岩田
そうですよね。結構家事も手伝っていたんですか?

上原
結構やりましたね。お風呂掃除もやりましたし、お米研ぎは僕の仕事でしたから。

岩田
すごいですね。

上原
高校生になると学校が忙しくなっていたので、家事を手伝っていたのは中学生までですね。

岩田
そうだったんですね。ご両親が共働きされていたと伺いましたが、お兄さんと2人で結構過ごす時間もあったのでしょうか?

上原
そうですね。兄貴と2人で過ごすことが多かったですね。兄弟だけど結構仲が良かったんです。今は全然連絡してないですけどね。
家にいる時は大体みんなでダイニングキッチンにいました。で、寝るときは和室に。

岩田
当時4人で暮らしていて広くはなかったと思いますが、もうちょっと広いとこ行きたいなとか思ったりしませんでしたか?

上原
それはもちろん思っていましたよ。
一戸建てに住むのが夢だったのですが、団地での暮らしが結構長かったですから。
プロに入って、一戸建てに親に住んでもらうっていうのは、すごい自分の中で嬉しかったです。

岩田
書籍では、お母さまが団地をとても気に入っていただいているように書かれていたのですが、どのような様子でしたか?

上原
同級生の友達が多かったのが大きいですね。同じ小中学へ行っていて、みんな団地住まいだったら、それは嫌でも集まりますしね。

岩田
ちなみに今でも団地の時のお友達とお付き合いはあるんですか?

上原
全然ありますよ。同級生の親はまだ寝屋川に住んでいたりします。

岩田
長くお住まいいただいていて嬉しいです。

上原
結構長いですよね。

岩田
元々URの賃貸住宅は居住年数が長い方が多いのですが、寝屋川団地はURの平均居住年数よりもさらにちょっと長めなんです。気に入って住んでいただいている方が多いっていうのは事実としてあります。
上原さんが寝屋川団地に行かれたのはいつ以来になるんですか?

上原
毎年大阪の実家へ帰った時には寝屋川団地を見に行っています。

岩田
そうなんですか!上原さんが団地の中を歩いているとは。

上原
歩いていますよ。
暗くなってから行くようにしていて、寝屋川団地内を通って成田山へお参り行くみたいな感じです。小学生の時はめっちゃ遠いなと思っていたのですが、今となればそんなに距離を感じませんね。地元トークになりますが、28棟ぐらいから抜けられるので、近道になるんです。

岩田
具体的にお聞き出てきて面白いです、ありがとうございます。
それでは次に、団地のお部屋の住み心地についてのお話を伺いたいと思います。
こちらも書籍でエアコンがなかったというお母さまのお話があり、窓を開けていたら風通しが良いので、なんとか過ごすことが出来たとあったのですが、団地のお部屋は南側、北側と両方に窓があるので風通しが良いというのは他のお客さまからも言われるのですが、当時はどのように思っていたのかなどを伺いたいと思います。

上原
クーラーは欲しかったです笑

岩田
そうですよね。

上原
部屋の風通しはよかったのですが、やっぱり暑いですからね。うちは本当に扇風機だけでした。

岩田
扇風機だけだったのはいつまでですか?

上原
ずっとなかったですね。今はクーラーをつけないと逆に危ないですからね。今は団地でもどこの家庭にもついているんじゃないですか?

岩田
はい。クーラーがついているお部屋もあります。
団地のお部屋で思い出に残っていることはありますか?

上原
コンパクトですよね。お風呂、トイレ、洗濯場所など周辺に固まっているので、移動しなくていいイメージがあります。

岩田
先ほど当時使用されていた洗濯機が2層式とおっしゃられていましたが、横幅が結構あったのではないでしょうか?

上原
結構幅がありましたね。なので、洗面所が本当にすぐ隣でした。
あと、やっぱり畳っていいですよね。あとで皆さんにも見て頂きたいのですが、モデルルームで使われている畳が、僕が団地に住んでいた時とはちょっと違う素材を使われていて、ベッドを置くこともできるんですよ。畳にベッドを置くという発想が無いですもんね、団地では。

岩田
ご紹介ありがとうございます。MUJI×URでは無印良品とURで共同開発をした「共同開発パーツ」がいくつかあるのですが、その中の「麻畳」というものがあります。い草の部分が麻を織った素材となっているので、表面の強度が強くなります。い草の畳の場合、ベッドを置くと沈んでしまうのですが、上原さんがおっしゃっていたように「麻畳」の場合ベッドを置いてもあまりへこみにくくなっています。
畳はある意味使い方が万能といいますか、寝転がってもいいし座ってもいい、いろんな使い方ができますよね。
団地にお住いの時は、食事は和室で召し上がっていたんですか?

上原
食事はキッチンにテーブルを置いていたのでそこで済ませていました。キッチンで料理して、後ろ向いたらすぐ食卓に並ぶ感じでした。
すごくコンパクトなので、おかんも移動しないでよかったから、楽だったのかもしれません。

豊田
食事はテーブルとのことでしたが、ソファとかも使われていたんですか?

上原
ソファは使っていなかったと思います。和室でロゴロゴしたりしていたと思います。

豊田
押し入れに収納をされていたのでしょうか?

上原
そうですね。収納は押入れが2つあったのでそこでまとめていたと思います。そこまで物がなかったので。

豊田
お風呂とかはどうでしたか?上原さんもお兄さんも体格が良いと思うので。

上原
この体なんでね、狭かったですね。お風呂が、カチカチってやるものでした。

岩田
上原さんがお住まいだった頃だとおそらくカチカチやるバランス窯だったと思います。お風呂のサイズもよりコンパクトだったのではないかと。

上原
足は間違いなく伸ばせませんでしたし、三角座りみたいな感じでお風呂に入っていました。
お風呂のスペースがもうちょっと取れたら、これから住まわれる皆さんもそこはプラスのポイントになるんじゃないですかね。

岩田
そうですよね。団地の場合、お風呂の壁がコンクリートでできているため、どうしても限界はあるんですけど、極力広くしようとしています。

上原
団地のトイレには温水洗浄便座はついているんですか?

岩田
温水洗浄便座は基本的にはついていないところが多いですが、お住まいになられた方がご自身で好きなものを付けて頂けるようにコンセントを追加したりしています。ただ、一部団地ではそういったニーズが高そうなところであれば設置したりしているんでが、大半はついてないのが現状です。

上原
お風呂と同じくそういうのもつけた方が、これから入居を考えている方にはプラスになる部分ではあるのかなと思いました。

岩田
ご意見ありがとうございます。温水洗浄便座は一般的になってきていますもんね。

豊田
お部屋の使い方についてなのですが、団地のお部屋は和室がほとんどだと思うのですが、ふすまなどはどのようにされていましたか?

上原
ふすまはそのまま置いて使っていましたね。
和室の1つはもう本当に寝るだけの寝室としてしか使用していなかったので、ふすまを外して空間をつなげるなどはしていませんでした。
そんなに部屋を移動するようなこともなかったので。皆さんも家で移動しますか?ソファがあったらそこからあんまり移動しないと思うんですよね。それと同じ感覚です。

豊田
確かにそうですね。ある意味突き詰めると、団地のコンパクトな暮らしになりますね。

上原
いいところだと思いますよ。あと、天井さえ高ければ。

岩田
鴨居を外されて暮らしていたと伺ったのですが、本当ですか?

上原
ダイニングキッチンと和室の間にあったものを取り外していました。
兄貴も僕より身長が大きかったのと、頭やおでこをどんどんぶつけていたので。

岩田
上原さんの身長だったら、油断するとぶつけてしまいますよね。

上原
もう、本当そうなんです。

Part2:上原さんのこれまでの暮らし変遷 ①フロリダでの暮らし

松枝
団地のエピソードで盛り上がっているところですが、先ほど近所の方とのお付き合いの話も出ましたが、現在お住まいのフロリダでの暮らしの中でもそのようなエピソードをお伺いをできればなと思っています。資料は上原さんのSNSのものとなっています。

岩田
フロリダでもご近所の方とはお付き合いがあるんですね。ゴルフに一緒に行かれたりしていると伺っています。

上原
そうなんです。1番左の写真はちょっとわかりづらいのですが、黒人の方とこちらの元警察官の方とご近所で、しょっちゅうゴルフをしています。

松枝
ゴルフに行く際はお互いに連絡を取り合っているんですか?

上原
はい。連絡を取り合っています。「何曜日・何時は空いてる?」みたいな感じで言われて、「空いてるよ」って言ったら、「じゃあ行こう!」みたいな感じで予定が決まります。
真ん中の写真はうちのペットで、ゴルフ場で散歩しています。贅沢な散歩ですね。
1番右はハリケーンで潰された建物ですね。

岩田
1番右はハリケーンの被害だったんですね。柵が倒れていたのでどうしたのだろうと思っていました。

上原
もう台風のレベルじゃないので。ハリケーンでうちの家も半分やられました。家が飛んでいきますからね。

岩田
それは大変です。
フロリダでの生活でも、ご近所付き合いというか、定期的に集まったりされるんですか?
例えば、一緒にご飯食べて、一緒にゴルフをまわったり。

上原
ご飯も一緒に行きますね。あと、僕は参加していないんですが、週1回コミュニティの中では集まって、地域についてこうした方がいい、ああした方がいいっていう会議はしているみたいです。

岩田
アメリカにも日本でいう自治会のようなものがあるんですね。

上原
あります。集会所があるわけではないので、そのコミュニティの中のトップの人が声掛けして、椅子を持参して、家の目の前や庭でみんなが会議している感じです。僕はそこまで、英語が分からないので参加していないです。

岩田
アメリカでもコミュニティがあるとは聞いていて、結構関係性も深いのですね。

上原
他のエリアがどうかは分からないですが、うちの近隣のコミュニティは集まっている頻度は高いと思いますね。

岩田
コミュニティの単位はどのくらいになるんですか?やはりアメリカだとだいぶ広い範囲になるんですか?

上原
いや、うちは広くないですね。世帯的に言ったら20世帯ぐらいになります。20世帯で1つのコミュニティみたいになっているんです。

岩田
団地は団地で今でも地域コミュニティみたいのがあるのですが、上原さんがお住まいの頃もお友達同士の付き合いや親同士のお付き合いとか、当時もコミュニティがかなり盛んだったと思います。今お住いのアメリカでもそういったようなコミュニティがあると思うと似ているとこもあるのかなと思ったりしました。

上原
そうですね。うちのコミュニティはルールがしっかりあるのでそれも関係していると思います。例えば、屋根の色を変える時なども許可が必要で、いつ変更するのかなどコミュニティのトップの人に報告をしないといけないんです。色も決まっているので。

岩田
日本でも景観規制があったりしますがコミュニティの中で決められているんですね。

上原
勝手に変えたら怒られるんです。他のとこは分かりませんが、うちのコミュニティはルールがしっかりありますね。