家には住む人の成分が満ちている/伊東史子(デザインマネジメント)

寄稿・インタビュー | 2005.10.1

家には住む人の成分が満ちている。

「木の家」は白い画用紙のようなもの。紙の上に載って、好きな絵が描けそうです。こどもでも絵は描けますが、ちょっとした描き方を知っていれば、もっと愉しくなるはずですよね。空間づくりも似ていると思います。

私は、メアリー・ポピンズのように西風が吹くと引っ越しをするという暮らしが理想なのですが、そんななかで気づいたのは、たとえホテルに泊るときでも、人は自分の居心地のよいようにつくりかえているということ。
たとえばスリッパをかえるとか、ベッドカバーをはずしたりして、自分なりの空間にしようとする。そんなふうなちょっとした”巣づくり”で、居心地が変わるんですね。よそいきの感じが自分の家になる瞬間があるんだと思います。

生活感があることを嫌う人がいますけれども、イタリアでは人生と暮らしは分けることのできないもの。VITAという言葉は、「人生」でもあり、「生活」でもあり、「生命」という意味でもあります。
イタリア人はふだんよく「人生は住み込まれるべきである」というようなことを言います。私もイタリアに暮らして、貧乏でも、洗練されるとなかなかエレガントじゃないか!と自画自賛していたことがあります。生活空間は暮らす人自身が投影されるものですし、住む人が見えない家は楽しくない。家には住む人の成分が満ち満ちているからすばらしい。

たとえば穴のあいてしまったリネンのシーツ、どこかで拾ってきた石、昔、中学校の先生にもらったハガキ、使いにくい照明器具……なにかそういうものがあることで落ち着くことがあるでしょう?モノが用途を超えて、持ち主の愛着や思い出を受けとめる時、トランジショナルオブジェクト(transitional object)になります。意味や価値がトランジション(転換)するのですね。
私は「存在の道具」と大げさな呼び方をしているのですが、誰も無意識のうちに、ひとつかふたつ、そういったモノを近くにおいて、安心したり、支えられているのではないでしょうか?

「家具のような音楽をつくりたい」と言っていたフランスの作曲家エリック・サティは、葉巻の小さな箱にたくさん手書きのメモを入れていたそうです。亡くなった後、見つけた人は、ガラクタだと思ったらしいのですが、サティの箱のなかは彼の小宇宙でした。箱には何か探していたものがありそうな期待感とミステリアスなところがあるんです。

人間の生活は混乱や矛盾に満ちたものですが、家はそれを包み込むいちばん大きなトランジショナルオブジェクトと言えるでしょうか。それぞれの人生の必然性が確認されるというか……。帰りたい場所を持つことが、遠くに出かけていく勇気になるのかもしれません。

伊東史子
デザインマネジメント。故倉俣史朗氏の秘書、ソットサスアソシエイツ日本代理人を勤めた後、渡伊。
彫金学校卒業後、フィレンツェでジュエリー職人として活動。帰国後、パークスを設立。「スローフード日本語版」編集長。

2005年10月発行 無印良品の家カタログより