世界にひとつ、かけがえのない景色をつくる/隈研吾(建築家)

コラム | 2008.7.1

検証「窓の家」 世界にひとつ、かけがえのない景色をつくる

家というのは、結局のところ一つの窓ではないか。そんな「大発見」から「窓の家」のプロジェクトははじまった。

窓であるとは、世界を切り取る装置だという事である。
ご存知のように世界は乱雑に無限に拡がっている。しかし、どんな乱雑で無限なものでも、うまく切り取ってやりさえすれば、そこには乱雑でも無限でもないものが出現する。美しいものは出現しないかもしれないが、いとおしくかけがえのない景色、世界にひとつしかない景色が出現する。
その出現、その景色の誕生を可能にするのが窓という装置ではないか。その景色は本来家の外側にあるはずのものであるが、その外側のものが逆にその家という器のなかで一緒に暮らす人々を規定する。そのひとつの景色を共有することをきっかけとして人々がひとつにまとまり、家族というかたまりができる。そのように家を再定義してみた。

すなわち家族とは、ひとつの景色を共有する共同体であり、そのひとつの景色は窓によって創造される。窓は景色の創造主であり、家族の創造主である。だからこそ、窓は大事に、丁寧にデザインされなければならない。

逆説的ではあるが、窓を大事にするならば、窓自身は消えてなくならなければならない。
窓がしっかりと消えて、その後に景色だけが残らなくてはならない。
そんな訳で窓に対する期待ばかりが過剰に高まっていき、はたしてそのような理想的な窓がこの
地上に存在するのだろうかと。

しかしあったのである。そんな窓が。
木でサッシを作るところはたくさんあるが、往々にして木のサッシである事を主張しすぎるきらいがある。しかしこのサッシは木である事を主張しない。うっかりすると、それが木でできたサッシであることすら見落としてしまうほどである。
しかし、にもかかわらず、木のサッシ固有の断熱性能、ぬくもり、その全てを充分なほどに持っている。

その結果、この窓という額縁でふちどられた世界は、無性にいとおしいものとなる。
乱雑な、ボロボロであったはずの世界がこの額縁の中で、突如として聖なる景色へと昇華する。そんな奇跡を可能にするのが、この「窓の家」である。
その奇跡的瞬間のために、家を構成するすべてのエレメントは、ひたすらに沈黙を守りかたずをのむ。その沈黙のはてに奇跡が訪れる。
景色が出現し、家族が出現し、愛が出現する。その一瞬のために「家」が必要なのである。

隈 研吾
建築家、慶應義塾大学教授。隈研吾建築都市設計事務所代表。
建築設計から都市計画まで、世界で活躍する日本を代表する建築家のひとり。近作に「サントリー美術館」、近著に「負ける建築」(岩波書店)ほか。

2008年7月発行 無印良品の家カタログより