vol.21 結びの家
「無印良品の家」で暮らす人を訪ねて兵庫県宝塚市へ。
バイヤー・監修者の山田 遊さんが、
緑の庭を抱く「窓の家」に会いに行きました。

施工例 | 2016.10.4

「無印良品の家」に寄せて | バイヤー・監修者 山田 遊さん

生活を形作っていくこと

普段、仕事で店をつくる際や、自社の事務所に対しては、こだわりが強く、細部にまで執着してしまう一方で、僕自身は、借家に住んでいるせいか、自宅に対してそもそも他人のものだ、という意識をまだ払拭できないでいる。そのため、自分の日々の生活に対しては、こだわりや執着の意識は希薄で、それどころか、むしろ淡白なあまり関心がないようにすら思える。

その反動だろうか、僕は、知人や友人の自宅を訪れた際に、一通り、家の中を見回ることが、なぜかとても好きだ。どこか外で長い時間を費やして、その人と会話するよりも、家で生活している様子や、置かれているものなどの風景を通すことで、その人自身をより一層深く理解できるような気がするからだろう。

だからこそ、今回「無印良品の家」のモデルハウスではなく、実際に「窓の家」で、家族で生活している宝塚市のYさん宅を訪問し、一通り家の中を見学させていただいたことは、個人的にとても興味深い体験だった。

どうしても僕の仕事上、ものに溢れて暮らす日々の中で、僕が夢見る自宅での生活は、必要最低限なものだけを残して、余分なものを極力削っていく作業だと考えがちだった。だが、Yさん家族が暮らす「窓の家」は、そんな僕の思い込みを見事にひっくり返してくれた。

家の中に点在し、それぞれ大きさの異なる窓を見ているうちに、窓は、ただ外光を取り入れるための存在だけでなく、時には棚や床の間のように機能し、また、時には大胆に壁を切り取ることで、空間の中にあるそれぞれのものが置かれる場所を、緩やかに導いてくれていることに気がついた。それは、家具や生活道具はもちろん、窓辺に置かれた調度品たちも、そして窓の外のYさん作の庭の植物に至るまで。そんな、過不足もなく適切に置かれた、Yさん家族と共に日々を過ごしているものたちを眺めていると、なんだかとても良い気分になれたのだ。

そう、単純なものの多寡や、増減の問題ではないのだ。もちろん、家という箱だけでも、ものという中身だけでも、僕たちの生活は成り立たない。だからこそ、家とものの間にある理想的な均衡を意識し、考え、そして手を動かし続けることで、生活は形作られていくのではないのか。Yさん家族は、確かに丁寧に生活を形作りながら、豊かな日々を過ごしているように、僕には思えた。[2016.10]